「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

幕末の奈良の生活

外部資料

植桜楓之碑
 
 奈良が名所としてもの詣で遊覧の町となっきた。
元禄の東大寺復興の盛時ののち間もなく興福寺が炎上して大半の堂舎を失った。ここに名所奈良の大半を占める興福寺境内には荒廃が目立ってきた。奈良の経済力の衰退が表われている。さらに安政6年(1859)には 奈良の見ものの一つであった元興寺の五重塔も焼け落ちた。この悲運の奈良を名所として復興しようとした人として 奈良奉行川路聖謨がいる。さらに奈良公園の緑化にも努めた人である。

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