薬師寺近くのうのんから 大和の気象歳時記
大和の自然
外部資料
文政6年(1822年)には植付け困難の大干ばつ その31年目の嘉永6年(1853年)は植付け後の大干ばつ さらに 明治16年(1883年)には日照り続きで2百石取りの田畑にも五石しか取れぬありさまであった。大正2年(1913年)は干ばつによる大凶作という状態である。その後31年目の昭和18年は大過なくすぎたが 翌19年は稲の減収6割に達する大干ばつであった。周期説を裏返しているが科学的な根拠はなく偶然の一致としてある。
大和の自然
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文政6年(1822年)には植付け困難の大干ばつ その31年目の嘉永6年(1853年)は植付け後の大干ばつ さらに 明治16年(1883年)には日照り続きで2百石取りの田畑にも五石しか取れぬありさまであった。大正2年(1913年)は干ばつによる大凶作という状態である。その後31年目の昭和18年は大過なくすぎたが 翌19年は稲の減収6割に達する大干ばつであった。周期説を裏返しているが科学的な根拠はなく偶然の一致としてある。