「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から 大和の気象歳事記

大和の自然

凹地の平面に 大和棟ト違った草葺きの寄棟
 徳川時代になるとお伊勢参りが盛んにおこなわれた時に、大和北部の人々は櫟本 福住 並松 白石 染田 小原 笠間 名張 と通って伊勢にお参りしたのである。これがために街道筋の村落には茶屋(休憩所)旅館の営業した家があって白石の魚屋 鶴屋はそれで 並松の酒半は当時の茶屋であった。旅人を目標にした交通集落の性格を持っていたが 時代の流れの中で村落も様子はすっかり変わり 「お茶がありゃこそ 山の谷も都」の民謡のように 大和茶で有名になった。
大和高原の村々の屋根が国中の大和棟と違った形で草葺きの寄棟が多くあった。この草カヤで 山麓や川端 畑のすみに自生しているのを刈取って 乾燥させ保管し 屋根の葺き替えに使う。その時不足すると隣近所から借りて 葺替えを行なう。借りるとき カヤ草を積んで縄で結びその長さで借りた量を表わす習慣であった。この地域の屋根は寄棟 霧妻の屋根で 名和をカワラで包む棟カワラで この地方の人は 箱屋根 と呼んでいる。この様な屋根は大和高原一帯におよんで 北の柳生にも見られた。この箱屋根は国中には殆ど見なくてむしろ高原の東伊賀に多い。この地域は伊賀との交流が昔から多いこともこの屋根からいえる。
また政治的にも上野藤堂氏の支配を受けていたこともある。
大和高原の凹地に水田ろその周辺の山際に村落は箱屋根のカワラ棟を持つ民家が群がっているのも高原の特有な景観である。

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