「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記「大柳生の太鼓踊り」

大柳生の太鼓踊り

外部資料

大柳生の里に祭られている夜支布山口神社は、スサノオの命を祭神とする水のかみさまだという。上出 塔坂 西の三垣内が宮座をつくり、永く敬虔に祭祀を営んでいる。この宮座は年長順に二十人が二十人衆とよばれ、一年交代で順番に当屋をつとめる。十一月一日に頭渡しがあって、前の当屋から「回り明神」を受ける。そのしるしは鳥帽子と麻の装束であるが、これを太い真竹で組んだ60センチ立方ぐらいの屋形に納め、当屋の座敷の天井につるしてまつる。
回りの明神を受けると、そのものは明神さんと一体となって神格をもつのである。したがって一年間は厳粛な精進潔斎をする。頭人は回り明神を祭った一室で、女人禁制でひとり起居し、ケガレの場所に出入りしたり 旅に出ることは禁じられ、別火するとともに肉類やくさ味のあるものはいっさい口にしない。毎月一日 十一日 二十一日は「旬の参拝」といい、口に榊の葉をくわえ、誰からの問かけにも答えず、山口神社に参詣し、神饌をお供えする。
神社の大祭は十月十八日であるが 八月十七ガトウ(賀当)といいその夜当屋の庭で盛大な太鼓踊りが催される。賀当の日の踊りであるので「賀当踊り」とも呼んでいる。当屋の回っている垣内の若衆が会所に集まって、そろいのいでたちに白鉢巻き、背に大きなシナイ(幣)を負い、胸に小太鼓をつけ、太鼓を打ちながら賀当の庭に繰り込む。玉串奉鄭 口上などの儀があって、いよいよ八時ごろから踊りがくりひろげられる。
中踊の踊り手は八人、紺じゅばんに手甲脚絆 ぞうりばきに カンコ(鼓太鼓)を胸につけ、手にバチ シナイをつけている。シナイの房はヒノキを薄く削って作ったもの。大太鼓を打つオオダイは四人 踊り手と同じ衣装で、御幣を背負いバチを持つ。ウタアゲ三人、羽織袴で手に先を赤、青に染めたシナイを持つ。ほかに笛二人、鉦の音がはいり 踊り手がカンコを打ちながら、趯。踊りは二列になった踊り手が左右に行きかわし足を踏みならしながら跳躍乱舞する。実に勇壮な踊りで、踊り手は汗びっしょり、こうした踊りが一通りがすんだあと庭では、村人たちの相撲、盆踊りに移る。いわゆる盆踊りで江州音頭なども踊られる。
太鼓踊りが毎年踊られているのは、上柳生がもっと代表的であるが、もとは、やまと大和の東山中から吉野にかけて、また国中でも石上社や和邇社、大神社などの神社を中心とする郷社で盛んに行われた。一般にナモで踊りあるいはイサミ踊りといい、主として雨乞いにイサミ、その満願御礼にナモデをおどった。名称はちがうがみな同じ踊りで、その性格は田植えのときの田楽が風流化し念仏踊りと習合した民族芸能で、その源流は郷村制成立期の京都に求められ、山城を経て大和の東山中に伝播し、各地域にひろまった。


詳しい日程についてはHP等でお調べください

■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-4
■℡ 0742-43-8152

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