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#桜井市の八講祭




外部資料


外部資料
桜井市多武峯付近、談山神社を心のふる里とする生田(おいだ)浅古(あさご)下(しも)倉橋 下居(おりい)多武峯(八井内、百市、飯盛塚、鹿路、針道 多武峯、西口)横柿 今井谷の八か所では八講祭が行われている。昔は北音羽(きたおとわ)もふくまれていたが、大正九年から講を退き、多武峯が新たに加わった。それぞれに八講堂という特徴のある小堂がある。
この八講は年番交替で行ない、浅春の三月十二日正午頃から、談山神社の御祭神藤原鎌足公親子の画像ならびに寒山拾得(かんざんじっとく)の軸をかかげておごそかに執行される。
画像の詳細は中央に鎌足公の坐像、その右に定恵(じょうえ)和尚、左に淡海公(藤原不比等)を描き、その周囲に諸菩薩および多武峯縁起を図示した曼荼羅様の長さ約3メートル(一丈二尺余)幅約1.5メートル(五尺)の大幅である。寒山拾得は共に唐の高僧で、文殊、普賢の化身とされている。
「八講」とは、法華八講からの名称らしい。法華八講とは法華経八巻を八人に分かち、八座に読経供養する法会をいう。すなわち、天暦二年(94)十月、実性僧都がはじめて多武峯の寺に法華八講を修し、その後この地で盛んに行われた法華八講が、寺とは別にその近在の民間で八講の講社として組織されていったものであろうと思われる。八講中に大字多武峯の加わっていなかったのは、むしろこの講が寺とは別の行事であった証左でもあろう。
八講祭は三月十一に宵宮祭、十二日に本祭が行われる。神事奉仕中に祢宜一名、副祢宜二名がおり、大字の長老とか講にゆかりの深い家筋の中から選ばれる。
まず宵宮祭は、早朝から役員が羽織袴を着て大字の八講堂に参集し、(多武峯の場合は談山神社)、神饌の準備をし、午前十一時頃に村人に触れをする。祭り始めの太鼓が鳴りわたると、鳥帽子、素袍姿の祢宜や福祢宜が白布で口を覆うて、鎌足公画像(八講はん)を正面にかかげる。その間一同は謡曲をうたう。掛け終わるといろいろの神饌を献じ、寺の和尚が「談峯大権現式」という長文の古い式文をよみあげる。ついで般若心経を誦し、一同が「南無山大明神」と十ぺんとなえて祭式が終わる。一般の人々はこの式の間に随意に参拝する。祭式ののち後宴があえい、島台や三宝(俗に花という)を出すときに謡曲「高砂」または「四海波」をうたう。
本祭は十二日正午頃から八講堂で行われる。翌年の当番の大字から祢宜らの役員四、五人が鎌足公画像のお迎えにやってくる。この翌年当番の大字を下座受という。一行が大字入口まで来ると太鼓をならし、本年の当番側の代表者が出迎えにゆく。
祭式は宵宮祭とほぼ同様で行い、終わると双方の祢宜が、一同の唱和する謡曲とともに画像を巻きおろし、祭器の引継ぎをおこなう。
下座受の一行が、「高砂」をうたいつつ、祢宜は「八講はん」を、福祢宜は金幣を棒持し、列を正して帰ってゆく。下座受の大字の八講堂に着くと、画像を奉斎して祭式を行う。その後の一か年間は五節句及び毎三回、村人が交替でお灯明をかかげ、七月十六日に虫千祭りをおこなう。
なお、八講祭の宵宮、本祭が行われる時間帯は、その年によって変わることがある。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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