「うのん」の気象歳時記ブログ

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「春日の森の昔ばなし」から
「御田植えの松苗のいわれ
春日祭が終わった三月十五日、春日大社では"御田植祭”が行なわれます。旧暦時代は正月八日以降の最初の申の日が式日だったのですが、明治から今日のように改められました。

当日、本社の林檎の庭、榎本神社下、若宮神社前の三か所で行なわれる御田植え儀式には、赤いたすきがけの八乙女が、籾や切餅と一緒に、松苗を土に移す所作が見られるのですが、松の穂先を稲の早苗に見立てるのは、一体どういういわれがあるのでしょうか。

昔、春日第三殿の神さま(天児屋根命 あまのこやねのみこと)が河内(大阪府)の枚岡から、奈良の白毫寺の手前までおいでになって、そこで一服されました。そして間もなく春日の本宮にお移りになるのですが、その後、雷火で焼けたため、その休息された所を”焼春日”と呼ぶようになりました。今、そこには「宅春日神社」が東向きに建てられています。
この社は、大昔は北向き、つまり春日大社の方に向かって建てられ、その前の田を”杉田”と呼んでいました。春日の神さまが杉の穂先を田に植えられたところ、それにお米が実ったからです。

この不思議な神わざにより、春日のお田植式には、当初は杉田を使っていたのですが、いつか山火事で杉林が焼け、その跡に生えた松を使って行なわれるようになったのです。
ところでこの杉田の田からとれたお米は日常の神饌米ではなく、春日の神さまのお諭しによって、お山の樹木が枯れた時、その蘇生を祈る七日夜のお神楽の神事にお供えするための、特別のお米なのです。したがってとれたお米は翌年の収穫時まで、いつ何どきでも使えるように貯蔵しておくことになっていました。
お山の木が枯れるといっても、一本や二本でなく、大量に枯れる場合をいうのですが、昔の人は、杉や松の霊力、生命力を稲に移し、そのお米を神に捧げれば、枯れかっかた樹木も再び活きかえるものと信じていたのです。

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