「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
倭の国王の金印の持つところは竜の彫刻 竜頭となっている。中国や我が国のコインに竜をきざんだものがあった。竜の棲み家として有名なものに室生の竜穴がある。竜穴とは竜の住む洞穴で ここが霊験ある雨の神の宮と考えられてきた。旱天に朝廷は僧を派遣した例は数多く 最も早い列は弘仁九年(818)雨を降らせ読経祈雨せしめた(日本紀略)長保四年(1002)六月には興福寺の僧をして「仁王般若経」を読謡させた。というのは竜穴を管理する室生寺が富時興福寺の管下にあったからである

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「三輪山の九百九十九谷」



三輪山には、現に九百九十九谷あるといいます。元来は、千谷あるのですが、最も大きな一つの谷を、神さまがかくしておられるのだそうです。そして、ここの神様は蛇体だというのです。山の中の古い木を切ったりすると、たいへんな罰があたります。
むかし、付近の人が、ひそかに山に登って、木を取って帰ろうとしますと、急に黒雲がわきたって、あたりをつつみ、一匹の大蛇がおどり出て、ついにその人の命を取ったといいい伝えられています。
また三輪山の明神さんは、拝殿ばかりで本殿がないが、山を八まき半する大蛇がご神体であり、山には千谷あるけども、九百九十九谷より見つけたものはありません。千谷目の谷に、その大蛇が住んでいるのだというのです。
また、三輪山には谷が九百九十九ある。実は千谷あるが、谷が千ある山には大蛇があらわれるから三輪の神様が、社殿で一つかくしていられるので、普通に九百九十九谷というのだそうです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
東洋の竜は風を起こし人々のために雨を降らすが、西洋の竜は恐怖をもたらすだけだ。と中国では竜は知恵をあらわす。数世紀にわたってそれは皇室の象徴であった。皇帝の座は竜座と呼ばれ 顔は竜顔といわれた。人々の想像は竜を雲に、農民の必要とする雨に、大きな川に結びつける。ローマ時代竜は歩兵隊の軍旗に描かれていた。竜騎兵の起こりだが、竜の目的は敵の軍隊に恐怖心をもたらすことだった。竜は常に邪悪なものと考えられていた。英雄の偉業のひとつは竜を打ち負かし殺すことだった

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「子供のための大和伝説」から
「僧慶円と竜の玉」(そうけいえんとりゅうのたま)

いまから六百年ほど前のことです。三輪山のふもとに、信心深い慶円という坊さんが住んでおられました。
慶円は室生で勉強し、弘法大師の生まれかわりだといわれたほど、偉い人でした。
ある日、久米仙人が女の人を見て、空から落ちたという川のほとりを通りかかられました。日は暮れかかっていましたが、そこには、またきれいな女の人がいました。
「あなたは、いまごろ こんな所で、何をしているんですか」
と慶円がたずねられますと、女はこちらを向きました。それは竜が女が竜に化けているのですが、慶円にはそれがよくわかっていました。
見やぶられた竜女は
「わたしは天に登りたいのですが、仏の教えを知りませんので、登れないのです。それであなたに仏の教えを聞こうと思って待っていました」
といいました。
そこで、慶円は仏の教えをくわしく説いてやりました。女は大そう喜んでお礼をいい、お礼のしるしにといって、美しい宝の玉を渡し、やがて竜の姿をあらわして天へ登ってしまいました。
竜を教化した慶円は、竜の玉をもらって、三輪山の平等寺に帰りまして、付近の人から父母のごとく慕われていました。
慶円が亡くなる時には、栗殿(おうどの)の極楽寺の松の上に、五色の雲がかかり、不思議な音楽がきこえ、二十五菩薩の来迎がありました。
墓には、今も竜からもらった竜の玉が入れてあるといいます。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
十二支の内現在する十一の動物に加え、五番目に想像上の動物タツのあるのも面白い。
「龍」-多都ー雷神―蛇神ー降庄の神ー水の神ー豊作の神ー即為政者の徳と考え併せると「龍」への信仰は畏敬と崇敬の入り交じった複雑なものであったのであろう。62年5月の新聞「余禄に東洋の竜と西洋の竜はまるで違う と昨年(61年)亡くなったアルゼンチンの作家ボルヘスの竜に関しての意見を載せている。