「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記

三条通り
三条道理を歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです 2

外部資料

聖謨の施政は、土地の旧慣重んじながらも 流弊をしだいに改めていくという方針であった。そして政治には仁怨の心を専らとし、節あって寛大なことが大切と考えた。彼は、嘉永2年(1849)2月のころ 五位百笑の奉行と噂されたとみずから認めているが、訴訟裁判を公正に処理することから、多くの人々に喜ばれたものと思われる。聖謨が奈良に着任した年のこと 8月4日の鹿の角伐りを前に鹿寄せをしていた町の若者が 誤って大鹿を殺した。興福寺から訴えがあったが、鹿が人を傷つけるので角伐りをおこなうのであるから、誤って死においやることもあろうと、この訴えをしりぞけている。この場合い、常典をもって取り扱うことを不条理とした。

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