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東大寺  二月堂 青衣の女人と良弁杉


「お水とりが終わると春が来る。」関西の人々は、昔からこう言い習わしています。「お水取り」とは、毎年三月一日から十四日まで東大寺二月堂で行われる、「修二会」という行事のこと。十二日の夜半に、二月堂下の若狭井戸からお香水をくみあげる行法があるので、行事全体がそう俗称されています。
修二会のはじまりは、天平勝宝四年(752)。東大寺別当・実忠和尚が、笠置山の龍穴の奥に入り兜率の内院にもうでた時、菩薩聖衆毎夜深山幽谷にに分け入り観音をただえて礼拝しておられる有難いお姿を見て、それを地上でも行おうと、二月堂を建て修二会の行法をはじめた・・・二月堂縁起は、こう記しています。
この修二会には、ふしぎな話があります。鎌倉時代のこと、過去帳の転読(亡くなった東大寺関係の人々の名を読みあげる方法)を、集慶という僧が行っていた時、突然、青い衣の女人が現れました。そして「なぜ、私の名を読んでくれないのです。」となじるのです。驚いた集慶さん、即座に「青衣の女人」と読みあげました。すると、女人の姿はスウツとかき消えたといいます。それ以来、過去帳には、「青衣の女人」と記載されました。

また、修二会の行われる二月堂の下には、良弁杉と呼ばれる一本の杉の木があり、こんな伝説が残っています。
昔、近江の志賀の里に信心深い夫婦がおりました。夫婦には久しく子がなく、毎日、観音さまに祈願して、ようやく男の子に恵まれました。その子が二歳になったある日のこと、母はクワ畑に仕事に出かけました。そして背中の子供をおろしたところ、空から大鷲が舞おりてきて、子供をさらってしまったのです。母は大声をあげてあとを追いました。だが鷲は、子供をつかんだまま、ゆうゆうと飛び去って行きました。


鷲は奈良の都まで飛んでくると、二月堂下の大杉で翼を休めました。そこへ来合わせたのが、南都の名僧とうたわれた義淵僧正です。義淵はその子を助けおろし、自分の寺で大切に育てました。成長した子供はやがて良弁という立派な僧になり、東大寺建立にも力を尽くして、僧正の位をもらうまでになりました。;
さてこちらは良弁の母。母は三十年もの年月、我が子を探し求めて旅を続けていましたが、ある時、淀川を下る舟の中で良弁の半生の噂を耳にし、もしや我が子ではないかと、奈良の都へのぼってきました。そしてこの杉の下で、みごと母子対面をなしとげたのです。
それ以来、この杉は良弁杉と呼ばれるようになりました。ただ、当時の杉は1967年の落雷で枯れ、今あるのは、植えかえた二代目の良弁杉です。


■住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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