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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 法華寺のお話

法華寺  十一面観音と光明皇后


外部資料
平城京の左京一条二坊の地に位置している、法華寺。正しくは法華減罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、門跡尼寺(代々皇族が摂家の女性を門跡として迎える、格式の高い尼寺)として知られています。この寺は天平十九年、光明皇后の創建になるもので、皇后ご自身、夫の聖武天皇没後はここにお住まいになりました。そして法華寺の本尊・十一面観音は光明皇后のお姿をうつしたものといわれ、次のような伝説があります。
昔、天竺(インド)に熱烈な仏教の信者であるケンショー王という王様がいました。王は、生身の観音を一度拝みたいものと、つねづね、思っていました。ある日のこと、王は「東方の日本という国に光明皇后という観音がいる」という天の声をきいた


のです。王はすぐにでも会いたいと思いましたが、国を留守にができません。そこで王は、問答師(もんとうし)という仏師を日本につかわしました。光明皇后のお姿を、像に彫って持ち帰るように命じたのです。問答師に会った光明皇后は、興福寺の西金堂の本尊を刻んでくれるならということを条件に、モデルになることを承知しました。


そのころ、法華寺と東大寺の間には、十八丁もの長い廊下が続いていました。その途中には、興福寺の蓮の池があったといいます。そして問答師は、興福寺の蓮池の中を歩いている光明皇后の十一面観音に彫りあげました。それで法華寺の十一面観音は、蓮の後背をつけておられるのです。

外部資料


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問答師はこの像を三体作りました。一体は宮中に献上され法華寺へ、もう一体は天竺の王のもとへ、持ち帰りましたが、残る一体のゆくえはわかりません。


この話を伝え聞かれたインドの故ネール首相は、昭和32年(1957年)の訪日のおり、非公式に法華寺に参詣されました。そして十一面観音を拝み、故国の仏像とのあまりの相似に、驚かれたということです。
このような伝説が残っているのも、光明皇后のたいへん慈悲深いお人柄のせいでしょう。一般の貧しい人々が悪病に苦しんでいるのを見て、一千人の病人を助けようと願をかけてからふろ(薬草をたいてその湯気を体にあてる治療用の風呂)に入れ、ライを病んだ一千人の目の患者に対しては、体中にういた膿を自らの口で吸いとろうとした。・・・光明皇后に関しては、こんな話さえ残っているのです。


光明皇后がお住まいになった時、法華寺は女人成仏の道場として栄えました。そして皇后をしたって入寺を求める高貴な姫たちが、数百人も訪れたといいます。

■住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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