「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 円成寺のお話

円成寺 朝鮮に渡った栄弘師 奈良市忍辱山


外部資料
円成寺には「大蔵講来二合船残録」と記した巻物が保存されてます。もとは半紙の和綴じの冊子でしたが、江戸末期の寛政元年、円成寺の知恩院々主良助師が襖を張り替えた時、その下張りに使われていたのを見つけ、前後を整えて巻物にしたのです。ですからこの巻物には多少の脱落がありますが、表紙にあたるところに「二号船日記」文明十三年十二月十二日 薬師院連蕣「花押)と書かれています。
これには今からおよそ五百年前に、円成寺の栄弘師が朝鮮に渡り、室町幕府の八代将軍義政の特使として王に拝謁し、大蔵経を日本に講来した様子が、生き生きと描かれています。それによるとー。
文明十三年、円成寺知恩院々主栄師は、従僧と共に堺港から出航。瀬戸内海を通って下関までは廻航船に便乗。下関では、朝鮮国の釜山浦まで玄界灘を渡るべく、船と船乗りを雇うなどいろいろな準備を整えて、文明十四年の正月は下関で迎えています。正月用の買物が細かく記されていますが、大和国の住人が西国で迎える正月の様子がわかって、おもしろいです。
そして一行は朝鮮の釜山浦に上陸し、朝鮮の人夫を雇って王城へ向かいました。無事王城に着いてからは、一行は成宗王に拝謁して高麗版大蔵経六五三一巻を拝講し、将軍の親展書を携えて将軍所望の品々をも拝謁して、往路と同じ道をたどり、同年のうちに堺港へ帰り着いています。


現在 東京芝の僧上寺にある高麗版大蔵経は、この時栄弘師が持ち帰ったものです。これは、慶長十四年、大御所徳川家康公へ、興福寺一乗院門跡の紹介により、円成寺が献上したものです。

外部資料


はるか昔、大和山間の一寺の僧が行った大いなる旅、日本文化に与えた影響の大きさを考えると、まさに一大
異業であり、「二合船日記」は単なる円成寺の宝物というにとどまらぬ貴重な記録です



■住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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