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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 信貴山のお話

信貴山 正しくは 信貴山朝護孫子寺
大阪と奈良の府県境にあります。本尊は毘沙門天(四天王の一人 多聞台)。北の生駒聖天に対して、南の信貴山毘沙門天として、多くの信仰を集めています。
信貴山という名は、聖徳太子が物部守屋を討伐したさいに戦勝を祈願して、一堂を建立、
「信ずべし貴ぶげし」とのたもうたことからきているそうです。
この信貴山には、いろいろおもしろい話が伝わっています。次に書くのも、そのうちの話です。

 外部資料

外部資料

外部資料

昔 信貴山の寺に、命運というお坊さんが住んでいました。長い年月、血のでるような激しい修行をつんだ徳の高いお坊さんで、いろいろ不思議な力を持っていました。命運さんが御祈りしますと、鉄鉢が空高く飛び走り、命運さんの代りに托鉢するというのもそのひとつです。
ある日山城の国(今の京都府)の山崎にすんでいる長者の家に、この鉢が飛んできました。長者は昔、信貴山の毘沙門さまの信仰し、大変お利益をいただいて、大金持ちになったのです。しかしその頃のことはケロリと忘れ、長者は、「またこの卑しい鉢が飛んできた」と言って、米蔵の中に鉢を入れたまま、忘れて鍵をかけてしまいました。
閉じ込めたられた鉢は、夕方になっても帰ることができません。しかたなく、鉢は米蔵を乗せたまま飛び始めました。びっくりしたのは長者です。


「米蔵や待てえー 鉄鉢やまてえー」
必死で後を追い、長者は山崎から、とうとう信貴山まで来てしまいました。
そして長者は命運さんにおわびを言って、米俵をかえしてもらったということです。
それ以来、長者は貧乏な時のことを思い出して一生懸命働き、また困っている人には、優しく親切にするようになりました。こうして人々から喜ばれ尊敬されるようになった長者は、ますます栄えたということです。
これは今から千年ほど昔の話で、信貴山縁起絵巻になって残っています。
人間は貧乏な時のこと、困っている時にたすけてくれた親切な人のことを、けっして忘れてはいけません・・・と、これは、現在の信貴山のお坊さんのお言葉です。

■住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

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