「うのん」の気象歳時記ブログ

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12月の行事
春日若宮おん祭り
今年は18日にお渡りが行われました。

外部資料

由来と大宿所祭
この祭りは大和の年中行事のうちでも最も豪華で古くは大和一円のもとに行われ、大和の年中行事の最終を飾るにふさわしい祭りである。
この祭りは相徳天皇の長承3年(1134)から翌年にかけて全国にわたり飢餓におそわれたので、時の関白、藤原忠通が窮民救済の為皇室の米四百石の下賜を乞うとともに、藤原氏の氏神春大社の若宮(祭神天押雲根命)のご神霊を保延2年(1136)9月17日春日野にお旅所を設けてお迎えし五穀の豊穣、万民豊楽を祈ったのが起源といわれているが、一説に春日祭(本社の祭り)に参加できなかった興福寺の衆徒によりはじめたものともいわれている。
最初の祭典の様相は明らかでないが、流鏑馬と伝楽が中心のようで「春日社記録」によると、建久4年(1193)9月17日の条に渡御の次第として、「楽人・日使い(ひのつかい)・巫女・伝供御供・一物・細男・猿楽・競馬・田楽」次の日「競馬九番・流鏑馬九番・同相撲九番今遂了」とある。
祭りの日時も最初は九月十七日であったが、後花園天皇の寛正年間(1460~66)から11月17日となり、更に後年、十一月二十七日と変更されたが、明治11年以降は12月17日が本祭りとなり現在にいたっている。
祭りは十月一日のお旅所の、「縄棟祭」からはじまる。お旅所に縄張りをして形をあらわにし、敷地を清める意味もふくめている。江戸時代にはこのお旅所の用材千七百二十本は大和国十五郡のうち吉野郡を除いた十四郡から凡村高百石に付き五本の割りで奉献されたという。
12月にはいって⒒日にお旅所の仮御殿の釿始めがあり、松の黒木に青葉ぶきの簡素で雄渾な春日造りの御殿がつくられる。三角形の白土を混えた壁、御階の蒲莚などは他に例のない珍しいものである。
15日には大宿所祭がある。この祭りは若宮祭に奉仕する旧神領(明治維新前春日の神領となっていた町村)の代表者が大宿所(餅飯殿町)に集まって行う祭りで、古くは興福寺の衆徒で後に大和士となった大和の大名たちが願主人と称してこの祭りに参加し、流鏑馬などを行うのが例となっていた。



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