「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

奈良の町色々 柳町(三条通り やすらぎの道交差点南側)

慶長年間、この辺には人家がなく柳が数本、率川のほとりに生えていたので町名になったと「奈良坊目拙解」にある。天正年間(1573~1592)刑罰所となっていたと同書に記している。昭和45年まで率川のほとりに柳の木が一本あったが、この川が暗渠となった時、姿を消し、今わずかに民家の前に一本名残りをとどめている。当町は江戸時代法隆寺・郡山方面から奈良への入口となっていたので、春日若宮おん祭に参加の郡山藩・小泉藩などが通ったところである。この町の三差路に
北面 右  西の京 さいだいじ
      たつた ほうりゅうじ  郡山へ一里
   左  やぎ 今井 かうや道

東面 左 かうり山 たつた 法りゅうじ道
南面 右 かすが 大ぶつ道
西面 鹿の声聞くや▢ある迷道 玉道
北面 天保六乙未歳  中▢且建立
と彫った二つの石の道しるべがあった。
この町に来迎寺がある。創立は天文年間で現在の本堂は寛永13年(1636)の建立で、本尊の阿弥陀如来はもと眉間寺にあったもので、明治維新の廃仏毀釈で眉間寺が廃寺となったので、ここに安置されたという。その他、両脇に観音・勢至菩薩・光明院町有の地蔵菩薩などを安置している。境内にはこのほか観音堂がある。もとの本尊阿弥陀如来像・千手観音像などを安置し、天井に龍を描いているのは珍しい。
来迎寺の入口南側に地蔵菩薩を安置した地蔵堂がある。本尊は約2メートルもあり、彩色された立派な石像で、古くは首切地蔵と呼ばれていたが、現在では日限地蔵苔薩として信仰が厚く、堂内には庶民から奉納された多くの絵馬や土偶があった。現在五百余個を残しているが、貴重な民族信仰資料といえよう。
来迎寺内には町有の弁財天社がある。

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