「うのん」の気象歳時記ブログ

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北天満町の北方丘陵となっている。古くは飛鳥山または天満山とも呼ばれ、またの名を西方院ともよばれてきたが現在は一般に瑜伽山と呼んでいる。
この丘陵に天満神社、瑜伽神社、西方院跡などがあるので、そうした名が生まれたのであろう。室町時代にこの丘塁は設けられ、戦国時代に戦いを交えたことは、「大乗院寺社雑事帳」に記されているが、現在、わずかに濠の一部を残すに過ぎない。現在、この丘陵は風致地区に指定されている。
北天満町・中天満町は由緒ある大乗院や天満天神社のもとに発展をみた町である。北天満町に天満天神社・瑜伽神社などがある。
天満天神社には天神、少彦名命をまつる。興福寺の別当であった大乗院の鎮守神社で、毎年5月5日に小5月会と称する祭りがおこなわれた。この祭りは春日若宮おん祭りにつぐ祭りともいわれ、田楽・能楽などが催された。
現在、北天満・中天満・片原・清水通りの各町の鎮守神社となっている。この神社からの展望はすこぶるよい。 
 瑜賀神社・稲荷大明神(宇賀魂・稲荷魂命)をまつる。
「奈良坊目拙い解」に享保3年2月吐山氏霊夢により小祠をたて稲荷神をまつる。」と記している。境内に奈良時代大伴坂上郎女が元興寺が元興寺の里をながめて詠んだ
「古郷の飛鳥はあれど あをによし
   ならの明日香を見らしく好しも」
の歌碑がる。その他、武士騎馬図(室町時代)稲図図(江戸時代)が保存されている。
北天満に地蔵堂があった。天文14年乙巳年12月の銘のある地蔵菩薩の石仏と不動明王・薬師如来像・弘法大師座像の石仏を安置していた。この地蔵菩薩は「汗かき地蔵」とよばれ、難産家庭に出むいて安産させる地蔵菩薩で、その度ごとに汗をかかれるという民間に信仰の厚い地蔵菩薩である。明治初年廃仏毀釈で雨ざらしになっていたのを、北天満町の人々がお堂をたてて安置したと伝えられている。一説には福智院の今西清兵衛氏の井戸より出された尊像ともいわれている。昭和48年お堂は住宅となり、地蔵菩薩は屋外に安置されることになった。
元禄の町家改帳に北天満町家数23軒、中天満町53軒とある。
中天満町と下清水町の間に御幸道と呼ばれる道があった。大乗院門跡が天満天神社に参拝する道といわれている。


この地域に奈良ホテルがあり 浮御堂 など多くの人々に知られているところが近くにある。

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