「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「てんりのむかしばなし」
柳の地蔵(守目堂町) 雨乞いの話です
布留川の本流より分れて西に流れる田村川の水は、水晶のように澄みきって、本当にきれいな水だったので、村の人達は、田の水として利用するだけでなく、この水を飲み水にしていました。
この川の中程に、大きな石橋が架けててあり、こんにゃくの形に似ているので、「こんにゃく橋」と喚ばれていました。
この橋のほとりに、大きな柳の木が一本あり、その傍に余り大きくないが、頑丈そうな祠が建っていました。その中には、五尺余りの木彫りのお地蔵さんがまつられていて、紅や青の色で塗られ、見るからに美しく、村の人達に「柳の地蔵さん」と呼ばれていました。
川のそばに立っておられるこのお地蔵さんは、水を司る神様、雨乞いの神様として皆に親しまれ、「きっと雨を降らせてくださる。」と伝えられ、村の人達の心の支えもありました。
ある夜、春雨に煙る中、村人の一人がここを通ると、柳の木の影に、淋しそうな若い女の人がたたずんでいました。「おやっ、どうしたのかな」と思って、声をかけようと近よると、女の人は、霧のようにすっと消えたかと思うと、祠の中のお地蔵さんが、「あはははは、あははは」と笑いました。
そんなことがあってから、何日かたったある寒い夜の「ことです。一人の旅人が、ここを通りかかると、お坊様が一人、祠の前でしきりに念仏をとなえておられました。旅人も一緒に拝むつもりでそばに行くと、お坊様は、キッとした顔を向けたかと思うとたちまち大入道のようになり、長い舌をペロリと出して、旅人をにらみつけたのです。旅人が「キャッー」と大声をあげて逃げ出したところ、「あっはっはっはっ、あっはっはっはっ」と祠の中から、笑い声が追いかけるよぷに聞こえてきました。
その話を聞いた村の人達は、「まさかお地蔵様が笑うわけがない。きっと狐か狸の仕業だろう。」と言いっつもその噂はひろがっていきました。村人達はうす気味悪くなり、大柳の祠には、誰も近寄らなくなってしまいました。
それから何年たったのでしょう。さしもの柳も、長い歳月や風雨に枯れ果て、祠もすっかり荒れてしまいました。村の人達は、見る影もない祠を見て心配しました。「中のお地蔵様が、朽ちてしまってはもったいない。これは、勾田村の浄国寺にお預けするのが一番じゃ」ということになり、預けることになりました。いつしか、預けたお地蔵さんのことは、忘れられようとしてました。
そして、昭和に入ってからのことです。村は二度も大干ばつに会いました。どうしたことか、くる日もくる日も一滴の雨も降らず、田は真白に乾き、ひび割れて、稲はもう枯れる寸前になって、しおれてしまいました。
村の人達は、毎日店を仰いでは雨を望み、神に祈っていmなしたが、かんかん照りの太陽は、雨を寄せ付けません。
その時、浄国寺に預けた「柳の地蔵さん」のことを聞き伝えてきた老人が、そのことを、村の人達に話しました。村の人達は、藁にもすがる思いで浄国寺へ行き、このお地蔵さんにお願いすることにしました。
まず、地蔵さんに水が浸まないよぷに、雨合羽で幾重にも包み、和尚さんが地蔵さんを背負い、村中が総出で松明をかざしてねり歩きながら、「雨たんもれ、雨たんもれ、天に知る気はないかいな。」と大声で、地蔵さんを池へ投げこいだり差上げたりしながら「雨を降らせたまえ、雨をふらせたまえ・・・・・・・・。」と祈りました。
さしものかんかん照りも、村人んぽ熱意が天に届いたのか、にわかに空が曇り、大雨が降りはじめました。村中の人達は、大喜びをし、それぞれのpおきゃくさんや、家でお祝いをしたそうです。

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