「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「てんりのむかしばなし」から
「大きな櫟の」」 ②
 ある晴れた日、覚弘坊は「もしもし天狗さん、支那から良いお土産を持って帰ったよ」と、櫟の木の下から優しい声で呼びかけました。木の枝からちょいと赤い顔を出しました。「何、どんなものか」と、すごみをきかした声で、問い返しました..坊さんは「しめた、天狗がのってきたな」と感じ、衣の中から中国から持ち帰った、とおめがね(遠眼鏡)を取り出しました。「本当はそんなすばらしいものなのか」と天狗は不思議そうに言いました。「そうだ、このとおめがねを使って、あの東の山から見下ろせば、大和の国中すっかり返して見えるんだよ。このめがね、欲しくないかい」と言いました。天狗はそのめがねをぜひ自分のものにしたいと思い「それはいくら位だ」「これは大変高価なものだ。しかし、お前の住んでいる櫟の木と、このめがねを交換してくれるなら、ただであげよう」と答えました。天狗はただでくれるならありがたいものと、櫟の木から下りて真赤な顔でにこにこに喜んで、めがねを手に米谷山へ向って飛ぶように行ってしまいました。坊さんはほっとして、大きな櫟の木をねん力と鋸で、
「えいっ」とばかり切り倒しました。
その時、急に明るくなって、今まで目にしなかったお日さまが、キラキラとまばゆいばかりに輝いて、村の上に顔をだしました。

村人達は大喜びです。村中あげて大さわぎです。
「よかった、よかった。お日さんが顔をださはった」
「お日さんの光はええもんやのう」「これでわしおらの暮らしもようなる。覚弘坊のおかげじゃ」と村人は口々に喜びました。それからの村人達の生活は、お日さまのめぐみをうけて、豊かにゆたかに栄えていきました。それで、その木の横倒しになった西の方の村を「横田」といい、枝のかかった村が「櫟枝」という地名になりました。
また、枝があまりにもたくさんあって、こなした枝が千束もできて、その積んであったところを、「千束」といい、もとの櫟の木のあった村を「櫟本」といって現在の地名が残っているようです。櫟本の伝わるお話です。

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