「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「てんりのむかしばなし」から
「白い蛇」

今の天理駅西の西の方、南六条町に杵築神社があります。この神社の境内には、釈迦堂・薬師堂・観音堂などがあって、そのうちの観音堂についてこんなお話があります。
ある大変寒い冬の日、観音講が営まれました。寒行詠歌西国三十三番をあげ終った人々は、あまり寒いので、堂の付近で焚火をしました。すると、土の中から白い蛇が出て来ました。驚いた村人は、その蛇を焚火の中へほうり込みました。蛇はかわいそうに焼け死んでしまいました。翌日も焚火をしていると、村人は又、燃えさかる火の中に放り込んでしまいました。死んだ筈の白い蛇が再び出て来たので、村人は気持悪く思っていると、村一番の物知りと言われている老人が来て、その蛇は尼さんの生まれ変わりではないか、と次の様な話をしてくれました。
「むかし、文政年間やったかな、ここによく腹痛を起こす女の人がおったんや。この女の人は、髪も短く男の着物を着て、観音様に病気のなおるよう、祈願しながら、観音堂をたてなおそうと素足で一戸一戸、村中を歩きまわり、布施を求め、米を約三反分(三十アール)も貯めたそうや。それを観音様に寄進して、立派な観音堂になったということや。この女の人は、法隆寺にゆかりのある、えらい尼さんやということやが、その尼さんの恩義を知らんと供養をせなんだよってん、白い蛇となって出て来たんとちがうか」
それを聞いた村人は「申しわけないことをした。ねんごろに白い蛇の供養をしよう」と、石塔を刻み、供養をしたのです。
それから白い蛇は、しばらく出てこなくなりました。が、ある夜、観音様の首のまわりを数珠の様に、白くまいているものがあります。よく見ると、それは白い蛇が三回もぐるりとまいているのでrした。驚いた村人は詠歌をやめて、一心に般若心経をよなえました。すると蛇は、頭の上へあがり、赤い舌を出してのぞき見ていたかと、するするっと姿を消してしまいました。その日は丁度、その尼さんの命日であったのpです。
その尼さんは、林慶法尼と言われ、旧暦八月八日に亡くなられたということで、現在は九月十八日を命日とし営みをつづけられているのです。林慶法尼は士族の出身で、中宮寺の尼であったのではないかと言われ、位牌は二死福寺にまつられております

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