「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「てんりのむかしばなし」から
「ひじきり丸とひじきり門」

昔、尻掛宣長(しやかけのりなが)という刀鍛冶の名人が、尻掛(現在の天理市朝和地区市場の辺り)に住んでいました。毎日精を出していました。「尻掛則長の鍛えた刀はよく切れる」と、なかなかの評判でしたから、長岳寺のお坊さんも、「是非私にもよい刀を作ってほしい。」と則長に頼みました。何日かが過ぎましたが、則長からは何の音沙汰もありません。お坊さんは、今日から明日かと刀が出来あがるのを楽しみに待っていたのです。しびれをきらしたお坊さんは「いったいあの刀鍛冶はどないしているのやら。もう出来てもええ頃やのに、待ちきれんので様子を見てきろ」と、尻掛の仕事場へ様子を見に行きました。
中からは、トンテンカン、トンテンカンと、よい音がひびいていました。「ああ調子よくやってるな。私の頼んだ刀を作ってくれてるのやな」と、そっと窓から中をのぞいて見ると、真赤に火がおこっています。よく見ると、その火は炭火ではなくて、すりぬか(もみがら)の火でした。
「なんや、炭で鉄を焼いてるのとちがうのか。火力の弱いすりぬかの火なんかで、ええ刀が出来るわけないわ。もうあかん、あきらめよう」と、がっかりして帰りました。
坊さんが刀のことをすっかりわすれてしまったある日「刀が出来上がりました」と、則長が一ふりの刀を持って寺へやって来たのです。坊さんは「もう刀はいらん。どうせたいした刀ではないやろう。もうええから、持って帰ってくれ」と、中身も見えないで突き返しました。長い年月をかけ、一生けん命にこしらえた刀を一言のもとにはねつけられた則長は「私は頼まれたから作って来たのに、刀も見ないで『たいした刀ではない』とはいうことですか」と、かんかんに怒って「それではこの刀が切れるか切れにぬか、御覧にいれましょう」と、刀を抜くやいなや、門に切りつけました。そのため、門の肘の所がスパッと切れてしまいました。その切れ味のものすごいのにびっくりした坊さんは「すまない、私のまちがいおがあった。ゆるしてくれ」とあやまり、たくさんの礼やご馳走をして刀鍛冶をねぎらい、もてなし、その刀を受け取り、この刀を「ひじきり丸」と名付け、門を「ひじきり門」と呼ぶようになったのです。名刀を「ひじきり丸」は、いまではどこかへ持ち出されてしまって寺にもなく、どこにあるのかもわからないそうです。尚、尻掛則長作の尻掛刀は、。手ガイ包永作の包永刀と共に、大和の名刀とされいてます。

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