「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

ますますコロナが拡がっています。
何処で出くわすか 互いに気をつけましょう。
「吉野の民話」から
「天誅組」
吉野地方は、山また山で奥深く、交通も不便であったため、昔からいろな戦から逃げてきた人たちが住みつき、再び、戦いに打ちだしていった所です。大海人皇子のときもそうでしたし、後醍醐天皇のときもそうでした。
江戸時代のときもそうでしたし、後醍醐天皇のときもそうでした。
江戸時代のおわりごろ、やはり大きな戦があって、奈良県の南半分は、大きな影響を受けました。この戦いを始めたのが、天誅組です。
天誅組は、侍中心の政治を新しい政治に変えようとするものでした。志をもった人たちが四国や九州・大阪などから集まり、五條代官所(五條市)を襲撃しました。そして、京へ向かって北上しましたが、京の御所に認められず、また、橿原市あたりで幕府軍との戦いになり、結局、負けて敗走することになりました。
一度は、兵や資金を送って支援してくれた十津川に向かいましたが、そこでも、追っ手に打ち破られ、兵はちりぢりに離散し、東吉野村の鷲家が最期の戦いの場所となりました。
そのあと、しばらくして、日本全体を巻きこむ大きな戦いがありました。侍の政治をやめさせようとする人たちと、侍の世の中を守ろうとする人たちとの間で激しい戦いが始まり、結局新しい世の中に変えようとする人たちの手で、明治維新がなしとげられ、明治政府ができたのです。
天誅組も、新しい政治に変えようとする人たちの集まりであったことから、そのはたらきを、明治維新のさきがけになったと大きく評価する人もいます。
いずれにしてもたくさんの人たちが亡くなった悲しいできごとでした。

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