「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

奈良県のコロナウイルス感染広がり方 人口比では大阪より激しくないですか。大阪との関係が強いためですが 互いに気をつけましょう。
当店では 一組づつのご利用をお願いしていますが、外に出にくい方、どうぞブログで所蔵している書物を紹介していますので、お読みいただければ幸いです。
「吉野の民話」から
「義経と弁慶」
平安時代のおわりごろ、源氏と平家が戦いました。戦いに勝ったのは源氏でした。ところが、兄である源頼朝は、今度は弟の源義経を滅ぼそうとしました。義経は頼朝から逃げ、山深い吉野の地に逃げのびました。
義経は吉水神社に隠れましたが、追っ手がせまり、さらに南の金峯神社から少し下がったところにある塔に身を隠しました。しばらく塔に隠れていたのですが、とうとう敵に見つかってしまいました。義経は塔の二階に上り、塔の扉を蹴破って屋根越しに外へ逃げ、かろうじて助かったのです。
それ以来、その塔は、義経が隠れた塔ということで「隠れ塔」とも、義経が扉を破って逃げたので、「蹴破りの塔」とも呼ばれるようになりました。また逃げたのびた義経は、外から見つかりにくい谷に隠れました。今でも吉野町菜摘の人びとは義経が隠れた谷を「隠れ谷」と言っています。
さらに義経は、喜佐谷に逃げたとき、小川にかかる橋の上で休みました。義経はついうとうとと、うたた寝をしてしまいました。それ以来、その橋を「うたたね橋」と呼ぶようになりました。「うたたね橋」は屋根のつきのめずらしい橋だったのですが、今はもう残っていません。
一方義経の家来の弁慶は、吉水神社の一部屋で、
「どのようにして、わが主人の義経さまをにがしたらいいだろうか。」
と考えに考えつづけました。今でも吉水神社には弁慶が思案をめぐらせたところと言い伝えられている。「弁慶思案の間」があります。
思案に思案を重ねた弁慶は、義経をための願かけをして断食をしました。弁慶は断食してどれだけ力が弱っているかを試してみることにしました。弁慶は、大きな石に釘を親指で押し込みました。釘はみるみるうちに石の中に入り込んでいきました。釘が入り込んだ石は、今も吉水神社に残されていて、「弁慶の力釘」と呼ばれています。

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