「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」
古いゲラのものですが所蔵してます。

「マッチ峠と待乳こうやく」
五條市の西のはし、もう少し行くと和歌山県と、いう所に、マッチ峠があります。今は、そこは国道となり、家も建ち並んでいますが、昔は、峠というと、旅人の難所の一つに数えられ、旅人は、
『日の暮れぬうちに、あの峠をこえよう』と、いそぎ、また、日ぐれに峠のふもとに、たどりついた旅人は、そのふもとで、宿をとり、次の日の朝、峠をこえてものでした。
峠には、茶店などがあり、旅人は、そこで、しばらく休けいしお茶をいただき、つかれを いやしました。
マツチ峠にも、茶店がありました。そんな昔(今から 千に二百年前頃)のことです。
弘法大師さま、高野山へ上ろうと、このマツチ峠にさしかかり ゆっくり ゆっくりと 峠を 上って行かれたときのことです。
ちょうど 峠の なかほどで 赤子の泣き声を聞きつけられました。弘法大師さまは、
「これは、ただの泣き声ではない。」
と、思われ、声のする方を見ますと、そこには、やせ細った赤子をおうて 苦しんでいる 女の人がいました。
弘法大師さまは、
「もしもし、どうなされたのかな。」
と やさしく 声をかけられました。女の人は 弘法大師さまが ちかづかれたのには まったく気がついていませんでしたので びっくりしたように 肩をピッとさせ 声のする方へ顔を向けました。
よく見ると、女の人の目には、涙がうかんでいました。そこで、弘法大師さまは、ふたたび
「どうなされたのじゃ。」
と、たずねられました。
「ハイ どなたかぞんじませんが、ありがとうございます。実は、わたしには このように 子どもがいます。」
といって、背の赤子を見せながら、
「ところが はれもののため 乳が出ないのです。」
「ホー。乳が出ない。」
「子どもは おなかをすかして、このように泣きますし、わたしは とても痛くて・・・・。」
「それは 気のぞくに、よくわかりました。わたしが なおしてしんぜよう。」
「エッ あなたが なおしてくださる。」
「しばし待て 乳の薬をやろう。」
弘法大師さまは、肩にかけている袋の中から 乳の妙薬を取り出し女の人に 手渡しました。


女の人が その薬を、おしいただき、痛む乳につけると、不思議や、そくざに、ききめがあらわれ、はれものは消え、乳が出るようになりました。
おなかのすいていた 赤子は 乳を  いっぱいのみスヤスヤとねむりはじめました。「ありがとうございます。ありがとうございます。」
女の人は なんども 弘法大師さまに、お礼をいいました。
よくなったのを 見とどけた 弘法大師さまは、
「では、お元気でな。」
といって、峠の頂きに向かって 歩いていかれました。
女の人は、弘法大師さまの お姿が 見えなくなるまで いえ みえなくなっても、まだ峠の頂を じっと みつめておりました。
弘法大師さまが 女の人に 薬をわらされるとき 言った
「しばし待て 乳の薬をやろう。」という ことばから  この峠を マツチ峠といい その薬を 待乳こうやく と呼ぶようになったそうで、昭和になってからも このマツチ峠で 待乳こうやくは、つくられて、ヒビ アカギレの妙薬として、人々に したしまれておりました。

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