「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「地福寺の天つぼ」 その二 ①
それから、『雨を降らした天壺』の話は、国じゅうにひろまりました。
阿波の国(今の四国地方)では、その話が、ずっと後まで、言い伝えられました。
寛永三年のことであります。阿波の国をはじめ、西日本に、たいそうひでりが、幾日も幾日も続きました。四月より雨が、一てきも降らず、人々は大変、困りました。
阿波の国の松平阿波守(まつだいらあわのかみ)は、ふと、大和の国の「天壺」の話をおもいだされ、すぐさま、使者をつかわしました。
「私ども三名は、阿波の国の松平阿波守より、つかわされた者でございます。じつは、お願いがあって、やってまいりました。と、申しますのは、四月より大かんばつに見まわれ、特に私ともの国は土地柄、そのかんばつもひどく、ひじょうに困り果てて
おります。一刻も早く、雨がほしいのですが、今だに、その気配すらありません。
あなた様のお寺に、雨を降らせることができる、神通力をもった雨乞いの天壺があると、お聞きいたしまいました。それで、そのご立派な、ご利やくのある天壺を、お借りにまいりました。阿波の国をどうか、お助けください。
その上、阿波の国へ、おこしいただき、お祈りをしていただきたいのでございます。」
使者のひっしの願いに、当院の慶海法印(けいかいほういん)は、こころよく、ひき受けました。
いっこくも早く、ということで、さっそく出発の準備をしました。慶海法印をはじめ、二人の僧と、三人の付人と、天壺をかつぐ、人四人と、使者三人とで、合わせて十三人の一行が、あわただしく山を「おりました。
なにしろ、たいへん重い、大きな壺であります。また、割ってはならない、大切な大切な壺であります。

×

非ログインユーザーとして返信する