「うのん」の気象歳時記ブログ

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「子供のための大和伝説」から」
「犬飼」

五条市になるまで阪合部村といった村の中に、犬飼という大字があります。
犬飼とか犬養という土地は各地にあり、犬養という姓もあります。
この」五条市の犬飼は、むかしは犬を飼って猟をした所だと思いますが、ここに弘法大師についての、次のような伝説があります。
むかし、弘法大師が中国へ留学しておられたころ、中国から日本に向かって三鈷をお投げになりました。そして、その落ちた所を修行の道場としようと思われました。
それで、日本へ帰られてから、三鈷がどこへ落ちたかと、各地をさがしまわられました。そして五条の近くへきて、狩場という狩りうどに出合われました。その時、狩りうどの狩場は弘法大師に
「このむこうにある高野山は、山全体が私の持ち山ですが、このごろふしぎに、えものがとれなくなりました。」
といいました。それは弘法大師の三鈷が落ちて光を放つので、鳥や獣が寄って来なくなったためですが、狩場はそれがわからなかったのです。
そこで、弘法大師はその狩場に
「それでは一つ、その山を案内してくれませんか」
とおしゃいますと、狩場は
「私が案内してもよろしいが、この犬をお貸ししますから、この犬に案内」させましょう」
といって、一ぴきの犬を貸してくれました。
弘法大師は犬の案内で高野山に分け入り、落ちてあった三鈷をみつけて、そこを修行の場所とされました。
この犬飼という大字は、五条から二見を過ぎ、真土峠を越えて紀州(和歌山県)へ通じる街道にそった、ささやかな村ですが、その旧街道に面して犬飼山転法輪寺という古いお寺があります。門を入ると太師堂や丹生明神と狩場明神をまつった社があります。
高野山にも丹生明神ヤ狩場明神がまつってありますが、高野山にお寺ができるまでは、狩りの地でこれらの神は地主の神としてまつってあるのです。
わが国も農業を主とするようになるまでは、狩りをしていたので、犬を飼っていたのだと思います。それで犬飼という土地や、犬養という姓名が残っているのです。

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