「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「神野の民話」から
「大師池と逆柳」

切幡と都祁村との境近くに弘法大師をまつる祠がある。
その前一帯は沼で柳の木が一本植えられている。
この沼は昔、底なし沼と呼ばれる深い池であった。
この池のほとりに大柳が生えなていた。直径40センチ、高さ8メートルもあったろうか、不思議なことに幹から末まで太さが同じで末のてっぺんに小枝が群がっていた。
昔43歳で高野山を賜わった大師が霊場を求めて遍路を続けていたとき、たまたmこの地にさしかかった。
昼食を取ろうと池のほとりに腰をおろして弁当を開いたが箸が入っていない。はて困ったあたりを見わたすと小川の端に柳の木が見えた。
かけよられた大師さんはその柳に頭を下げて、
「箸を忘れて困っています。いたいだろうが一枝わたしに折って恵んで下さい。」
と一枝折って弁当を食べられた。あとで池の水で柳箸の汚れを清め小枝に丁寧にお礼を言って 池の縁に差しておかれた。
大師さんの礼言が天に通じたのであろうか、逆に差された柳の箸が根づいて大柳となり、幾代もこの池を守ってきたのであろう。
人々はいつしかこの池を大師池と言うようになった。


長い年月が過ぎたある年、この年は天気続きで何回か雨乞いの松明行列をしても雨が降らない。
古老の話によると日照りで困った時は大師池の池替えをすればよいとあった。
それでは衆議一決、池替えをしたところが、降るわ降るわ、雨が多く降り過ぎて災害をもたらす大雨になってしまった。
とにかく大師池はこのように水涸れの時には大きな利益をまたらす大切な池でもあった。
その後、大雨を恐れて池の掃除もせず、ほうっておいたので、この清らかな、ゆいしょある池も、今は土砂でうずまり、見るかげもない荒沼になり、名物の逆柳も枯れて第二代の小さな柳が植えられているばかりである。

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