「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「てんりのむかしばなし」
れんげの実らぬ所

外部資料 天理市 藤井町 龍王山

 「今年も豊年万作でありたいものだ。」
「ほんまに一粒でもたんと、米がとれるようにな。」
とはなしながら、村人たちは、田んぼの肥料になるれんげ草の種をまきました。
その年も春のうららかな陽ざしのもと、どの田んぼも花のじゅうたんを敷きつめたように、れんげ草が、美しく咲きそろいました。しかし実がちっともなりません。
「もう田かじんならんのに、げんげんぼの実がのらんな。」
「そうや、わしも毎日田んぼを見つめてるのに、一向実がつかんなあ」
「どうしたもんやろう」
「田をかじる旬がおくれては、田植えもおそなる。かなわんこっちゃ、もうかじまひょなあ。」
「わしもそうしまっさ。旬がおそなったら、かないまへんもん。」
「げんげんぼの種がわるかったんや。つぎはええ種選んで、まかなあきまへんな。」
「そうだんな、そうしまひょう。」
その次ぎからは、良い種を吟味してまきましたが7,やはり、田んぼを耕す時期が来ても、実がつきませんでした。村人たちは、腕を組み何が原因なのか考えぬきましたが、実たない理由はわからず、首をかしげて不思議に思うばかりでした。
それからというものは、村にある龍王山十一城主、十市遠忠が、信貴山城主、松永久秀に攻め落とされた恨みでれんげの実がならなくなったといわれるようになりました。
これは、標高五〇〇メートルの所にある、藤井町に伝わる話です。
※ かじる・・耕す

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「てんりのむかしばなし」
平尾お稲荷さんのけんけんさん

外部資料

 石上町の東、約1キロメートルの平尾山に姫丸稲荷大明神がまつられています。初午や二の牛には、遠くから厄年の人々が厄払いにお詣りをし、露店もたくさん出て、村の祭りのようなにぎやかさでした。
お稲荷さんの前にはけんけんさん(きつね)が石の上にすわり、お稲荷さんを守っています。
この人里離れたお稲荷さんを、石上町のお婆さんが、一人でお守りしておられました。おばあさんは非信仰厚く、夜遅く村から平尾山のお稲荷さんに帰る時には、赤い灯を付けてけんけんさんがお婆さんを迎えに来て守ったということです。だからお婆さんは安心して夜遅くなっても、すこしも苦にならなかったということです。
ある正月の夜、初詣に、お婆さんと家族の方が平尾のお稲荷さんに行く途中、近くの坂道のあたりに赤い灯りがついているのを見つけました。人影もないのにどうしてだろうとおそるおそる近づいてきると、急に灯は消えてしまいました。
「おかしいなあ」とお稲荷さんお稲荷さんに着くと、お婆さんは、先程の赤い灯は、夜おそいので迎えに来てくれたんけんけんさんだと話されました。
そのお稲荷さんより南東約五〇〇メートル程のところにきつね塚があり石碑は建っています。昭和九年に建てられたものですが、その塚には多く穴があり、きつねがそこでたくさん住んでいたということです。お稲荷さんのお使いとして、けんけんさんといわれて、あがめられていました。今は竹藪でその穴の跡はみられません。そのころ平尾山で、畑仕事をしていると、けんけんさんのすがたをよく見かけたそうですが、現在そのような話は、あまり聞かれません。
今、お稲荷さんのお守りの人はなく、村の人々によって大切にされています。そして近隣の町々から厄払いやお礼に多数の人々がお詣りに来られます。けんけんさんの話は、村の中でも古い話として、語りつがれています。

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てんりのむかしばなし
長柄白堤神社の由来

日本武尊 外部資料

昔、この大和の国には神様が大勢をいて、国を治めを治めていました。
中でも日本武尊という神様は、いろいろと国のためにつくされたので、亡くなられた時人々は、大変悲しんだそうです。
その時突然、尊の体から三羽の白い鳥が飛んで出たかと思うと、体の周りを三周して空高く飛んでいきました。
尊の魂が鳥となってはばたいていったのでしょうか。
人々は鳥の行方を見守っていましたが、その鳥は大和の国原を飛びまわり、最後に長柄の南、五〇〇メートルのところに降りたちました。
村の人は、この不思議なことに驚きながらも、その鳥が自分達の村に降りたったことをたいそう喜んで、その地点にさっそくお宮を建て、村の守り神としてあがめるように無ったということです。

外部資料
現在長柄にある白堤神社は、このような由来があります。
言い伝えによると、本社は白堤首、大熊命をまつる大熊大社であったが、中古、境内社であった白堤社であった白鳥社(祭神日本武尊)を本社とし、本社の大熊神社を摂社にかえたと言われています。

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「てんりのむかしばなし」
当店は 歴史民俗学の書物が多くあります。
その中で 御子様にも読み聞かせの出来るかな と考る本の話を紹介いたしていきます。

雨の神 龍王山とおどり
十市氏は、龍王山に城を築くため、水を求め、井戸を掘りました。しかし、高いところのため、なかなか水が湧かず、雨の使いである龍王をおまつりして、水が湧くようお願いしました。この様に龍王をまついった山なので、龍王山というのです。

外部資料

十市氏が滅びた後も、住民は龍王山に向かって、日照りの時は雨を乞い、農作物の豊かなみのりを願ってお祈りしました。
「しで踊り」は、雨乞い祈願やその満願に踊るおどりで、太鼓や鉦で拍子をとり、紅して、白しで手に、神に感謝の気持をこめ、村民は夜更けまで踊り続けたようです。
大和神社に残っている「紅しで踊り」、石上神社にあった「白しで踊り」は、水に苦労した農民の切なる願いと、感謝がこめられています。

外部資料 大和神社

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薬師寺

これは 展示物が紹介されています。
香料は奈良時代に仏教とともにその儀礼の用具として伝来してきました。以来平安朝では貴族社会の中で薫物として発展し、中世以降は南蛮渡来の極めて希少な沈水香木が愛好されました。
薬師寺は 香りの伝統文化を援助してきました。
その香炉や香りを楽しむための道具 などの展示物が写真ではありますが納められた 小冊子です