「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「もの言う地蔵」薬師寺から東へ秋篠川手前に地蔵さんがいらしゃいます。

中はきれいに日々掃除された 地元の人々に守られています。
このお地蔵様は 昔 どろうぼうに話かけられました。 その泥棒は自分のしわざを、話話していたところ 警官につかっまったという話があります。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「端嶺和尚の雨乞い」(たんれいおしょうのあまごい)

むかし 下市町の西来寺の住職であった端嶺和尚は、徳のすぐれた高僧でした。
ある年、ひどい日でりが続きましたので、百姓の人々は端嶺和尚の雨乞いをしてくださいと頼みました。
和尚は百姓の人々を従え、からかさと硯を持って、堀毛の降剣神社へ参り、しばらくお経をあげていましたが、
「この土地は歴史が若い」
といって、むかしから、古い神仏をまつったところには、必ず蛇が住んでいますので、お経をあげて雨乞をしますと、その蛇が竜となって昇天し、雨を降らすと考えていたからです。
お地蔵さんにお経をあげていられた和尚は、やがて自分の着いている衣の上から、硯の墨をベタベタと塗りはじめました。そして和尚がだまって衣のすそをめくると、体には一匹の白て蛇が巻ついていました。それが墨に染まって黒くなり、やがて天へ昇ってゆきました。
和尚は、
「これでよし」
といって、ふしぎに思っている百姓の人たちをせきたてて、峠を下りはじめましたが、一同が麓へ下りきらぬうちに、からかさが破れんばかり大雨が降ってきたといいます。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

天満天神社

外部資料

薬師寺 近鉄橿原神宮線を挟んで西側 天満天神社は鎮座しています。
天満社は 菅原道真公のお膝元であるこの付近は 菅原神社を中心に扇型に50社ほどあるそうです。その中でこの神社は 七条町の氏神様で 雷から氏子を守るご神徳をおもちです。
地元の氏子様方でお守りされています。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「二上山の嶽登と火の玉」(にじょうさんのだけのぼりとひのたま)

大和の山間地方では、毎年村中の人が山へ登ってお祭りをする嶽登りという行事があります。二上山のふもとの人々は大つもごりの夜、夕食をたべてから、二上山へ嶽登りをするということが、むかしから行なわれているそうです。
ところが、二上山の頂上に着くころに、はるか当麻から高田の方へ通じる大井街道の方を見ると、いつも大きな火の玉が一つ、ポカンと現われたかと思うと、四方に小さくくだけて散らかってゆくのだそうです。それで、あれは何の火だろうか、狐の火ではないかといわれていたといいます。
また、その火が多ければ、ことしは豊年だ、少なければ不作だともいいあったということです。



 ここまでが伝説ですが、今これを考えてみますと、二上山から東に当たる三輪山のふもとの三輪明神で行なわれる繞道祭(にようどうさい)の火ではないかと私は思うのです。
大みそかから元旦の一時か二時ごろになると、大きな松明がここで燃やされますが、氏子や付近の人が、手に手に、火なわや手だいまつを持って、この神さまの火をいただき、うちへ持って帰って、これでかまどをたいて正月のお雑煮を祝うのです。それで、遠い西の二上山の上から見ると、大きな火の玉が現われ、小さくくだけて西方へ散ってゆくように見えます。
それからこの三輪の大松明は末社末社をまわりますので、それは狐の火のように見えたかもしれません。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

薬師寺八幡宮
薬師寺休岡八幡神社が薬師寺南大門に鎮座。旧村社。登神誉田別命
もと薬師寺の鎮守であると共に、西京郷の郷社であり、「大桑院雑事記」文明四年(1472)七月十九日条には郷民らが祈雨立願のため同社で手猿楽を興行したことがみえ、また寺僧により八幡社八講・八幡社十講などが催された。本殿は三間社流造り。桧皮萱で、その左右に各桁行三間染間一問一重切妻造の脇殿がついて三棟になっている。
棟札によれば慶長八年豊臣秀頼の命で片桐且元が奉行となり造営した。

外部資料