「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「源十朗橋」

西吉野村和田の中ほどに、南の山腹から丹生川に流れる小川があり、そこに源十郎橋という石橋がかかっています。
むかし、この村の辻内家の先祖に、源十郎という強いえらい人がありました。生まれつき大力と豪快のような勇気のある人でした。
ある年(明和三年という)のお祭りの日に、村の若者が総出で、山腹にころがっている一枚石を運んできて、小川の橋にしようということになりました。
「こんな大きな石は、十人や二十人では動かぬだろう」
「四、五十人なければ、とても動くまい」
などといっているのを、源十郎は横あいから、
「やってみようじゃないか」
といいました。
どうしてやるのかと、みんな不思議に思っていましたが、源十郎は、
「二十人で一方をかついで、一方をわしひとりでかつぐ。そしたら動くだろう。」
といいました。
その通りにして石を綱で結び、太い杉の木を通し、石の前方を二十人の若者が、うしろは源十郎ひとりが肩をかけました。
二十人がかけ声と共にかつぎ上げると、同時に源十郎もひとりで一方をかついぎ上げました。
源十郎のかけ声で二十人は静々と歩いて、小川の上に石がきた時、それをおろして石橋としたといわれています。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

薬師寺 南門

薬師寺南門から東へいくと すぐ池があります。少し南門から歩いて ご覧頂きたい風景です

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「黒淵と乙姫淵」

西吉野村の黒淵は、丹生川(にうがわ)の流れにそい、「淵は四十八淵、森は四十八森」といわれ、たくさんの淵があります。そのうちに乙姫淵というのがあります。
むかし、大日川の音右衛門という人が、この淵へナタを落としましたので、すぐ飛びこみましたが、それきり浮かんできませんでした。ところが一年たった一周忌にヒョッコリと無事に帰ってきました。そして、そのいうことは浦島太郎そっくりでした。
淵の底には竜宮があり、ナタは竜宮の床の間に飾ってあったといいます。この音右衛門が竜宮から帰る時に、乙姫から、日やけの時は、この淵をかきほすとよいと教えられました。それ以来、ここを乙姫淵といい、雨ごいの時はこの淵をかきほしてからっぽにすると、大雨になったといい伝えています。
また、この淵の底には、美しい乙姫が住んでいるという話もあります。
ある朝、ある百姓家の戸がコトンと音がしました。そして
「音がしても、あけてはいけません。また姿を見てもいけません」
といい、戸口からお金をいれていきました。それから、毎朝お金いれていきます。家の人はあまりふしぎなので、ある朝、見てはならぬといいましたが、すき間から見ていると美しい乙姫が魚釣りざおをかついで、戸口へお金をおいてゆきました。しかしその次の朝からはもうこなくなったということです。
この淵に鏡石といってすべっとしたきれいな石がありますが、これは乙姫が姿見をするところだと土地の人は伝えています。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

薬師寺南門前道路

外部資料

薬師寺南門 歩いて 駐車場からお詣りされる方はこの門から入られることでしょう。この前車で通られることも ただ道が狭く一台は通行離合出来にくい道 部分的にはできますが
いぬい川が横にはしり雰囲気がいいと思われますが 車の通行には互いに譲り合いがスムーズに動くことができます。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「五郎宗とユルギ岩」

大和と伊勢の境に立つ高見山に、国見岩という大きな岩があります。神武天皇が大和平定のはじめ、親しくハ方を望まれた所だといいます。
また、ユルギ岩といって、誰かがここへ持ってきて置いたかと思うような、不安定な岩があります。大きなものであるのに、ひとりの手でグラグラ動かせす。これにはこんな伝説があります。
むかし、ふもとの村に田中五郎宗という者がありました。生まれつき、力が弱くて、人にいじめられるのに憤慨し、高見山の神様に願をかけて、大力を授かろうと考え、まず第一日にはワラを一把って山に登り、二日目、三日目と順次にものをふやしてゆきつつ、八キロメートルの山道を、雨も風もいとわず日参しました。そしてついに大力を授かって、大いに喜び、一つ力試しにと、ふもとから大岩をさし上げて登ろうとしましたが、いまのユルギ岩のところまでくると、足が土にメリ込んで動けなくなりましたので、やむなく岩をそこへ置いて頂上に登り、参詣だけすまして下山しました。それがこのユルギ岩だといいます。
五郎宗は、のちに諸国を漫遊し、いたるところで大力を現わし、人を驚かしたそうです。
それで体のヅヌけて大きく、力強い者を、「五郎宗みたいなヤツ」といいます。
ある時、国中(くんなか)へ用があって出かけた時、大水で川の堤がこわれ、。村中の人がさわいでいました。その時五郎宗は、
「わたしも、一つ手伝わしてもらいましょう」
といいながら、太い杭を手にとって、スラスラと土の中へ押しこんだという話もあります。