「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 十津川郷の昔話

雨乞いのこと
お話の中に 前鬼 が出てきます。修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦の鬼 前鬼は夫で 後鬼が妻 と言われています。

彼ら鬼達は、大峰山脈の麓に住んで、修験者の先達をしていた 1300年前位
真夏に、全く雨が降らない時がある。そいうい時には、畑の作物がヨロヨロになるばかりか、田の稲も駄目になる。駄目になるのは作物だけでなく、人間も駄目になる。
そうすると在所の代表者が、前鬼(シャカの近くか)に火をもらいに行く。竹の荒皮をはいで、それを縄にない、火縄をつけて火をもらってくるのである。
(途中で他の在所の人にも火を分ける)もらって来た火は神社へ持ち寄り、火をお祭りする。そのあと松明に火をうつしとり、
あめあめ たもれよ あめあめ たもれよ
あめあめ たもれよ 雲の上の 陣五郎よ
t、みんなで歌いつつ川までおり、松明ごと川に流した。それでも雨が降らなければ幾日も続ける。さて、この火を送った翌日には必ず、誰もいるはずのないあちこちの山に、いくつもの火がともる。
「あめあめ たもれよ」の歌を、大人だけで歌うのは馬鹿くさいし、えらいので子供のもさせたものだ。
雨乞いが、天に通じて雨がふれば、その日は雨が降れば、その日は雨休みといって、すべての仕事を休んだものだった。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記十津川村の昔話

奈良県の南 和歌山と接して熊野古道小辺路がある。
山林に覆われた村です。
狸 
昔、高津(たこつ)の下の丸瀬下(まるぜした)でのことであった。この時分の川といっても、谷のようなものだった。そんな所へ鮎ひきに行った時の話だが、わしが一日ひいて、夕方、家へ帰る途中のことだった。


なにげなく川を眺めていると、一人の釣人が川原を上へ行ったりしている。何かを探しているのかと、最初は思っていたが、あまりにもようすがおかしいので、よく注意して見ると
、川辺の大きな岩の上に狸が座って尾を振っているのである。上へ振れば釣人は上へ、下へ振れば下に行く。
これは、きっと狸にだまされているにちがいないと思い「おーい。」と大声で呼んでやった。すると、狸はびっくりしたのか、山の方へ、逃げていった。釣人は疲れたのか、すわり込んで動こうともしない。しばらくして、川から上がって来た釣人は、
「いくら帰る道へ行きたいと思うても、行けなんじゃ。」
「もう二度とここへは鮎ひきに来んぞ。足がだるうて。」
と言って帰ったことだ。

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 吉野のお話

難題聟(ムコ) 
むかし、あるところへ、きれいな娘の巡礼がきよった。ところがな、ある若い男が、その娘を見初めやってな、
「あんたは、どこの国の方でっか。」
ちゅうて聞かってんが。
ところが、娘さんはそれに答えんで、
「恋しくは、たずねてごんせ 十八の国
      夏吹く風の ごんしょどころ」
っていう歌をよまはってな、歌をのこしてふるさとへ帰らってんと。
若い男は、なんぼ考えてもわからひんのでなー、あるえらーい学者はんとこへ行って聞かったら、しばらく考えてやった学者はん、
「十八の国てゃ、娘十八でな、若い国のことじゃで若狭の国のこと。夏吹く風は団扇のことじゃから、その巡礼は扇屋の娘や」
と教えてもらってん。
若い男はよろこんでたずねて行かって、やがて、その娘さんとむすばれてんと。

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 吉野

吉野の山々は深く 熊も多くすんでいるという話はあります。
木々も多く 動物と人々が住んでいたことでしょう。
そんな吉野の昔話です。
猟師と子熊
むかし吉野の山奥にかりうどが住んでやてな。鉄砲うちが上手で、毎日山へ出て、鳥やけものをうちやってんと。ある日、大きな一匹も熊を打って、担いで帰てえって、
「久しぶりにどえらいのがかかりよった。」
そういうて、祝い酒飲んでぐっすり寝込んでしまやってんが、そやけど、夜中になって、ふと目をさまさった時、台所の方で何やら音がするんやんか。そっと見にいかったら、大きな熊のつるしたそこらたーで、何やら動いとるものがああるねん。
「いまごろ、何やつやろ」
そう思うて、ようようみやったら、小さい熊が二匹、いろりのそばと、大きな熊のそばをあっちこっちしとんねが。
いろりの残り火で小さい手をぬくめては、大きな親熊の鉄砲の傷口をなでてぬくめとってんが。親熊はとうに死んでいるのに・・・・・二匹の子熊は、かわるがわる一生懸命にぬくめてさすっとんねが。
かりうどはそれを見て、
「かわいそうなことをしてしもたもんや」
そう思うて、あくる日、死んだ親熊を売るどころか、畑の隅にうめておがんでやらんとてんと。そいで鉄砲打ちもぶっつり、やめにしやってんと。

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薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 吉野のお話

ガタロの恩返し 大塔村
ずっとずっと昔の話でな。
ある村に助ヤンという人がおってな。生あたたかーい風がふきよる晩、せっちん(便所)に入ってやったら、落しのしたからニュと、猿のようなけだものの手が出てきよってな。そいで、つめたーい手で、お尻をなでるように、しよたんで、助ヤンは、
「エイッー」というて、持っていた山刀で、つめたい手をきりおとしたんや。すると、
「ヒイッー」と悲しい声をあげて、けだものめは逃げて行きよってんとー。
助ヤンは、さっそく切り落とした手を持って家へ帰りやってん。
そいで、ちょっとたったころ、年頃の娘さんが、袖で片手をかくしながら、はずかしそうにやってきやってなー。
「あのー。わたしはこの裏のかわっぷちに住んでいるもんやの。つい、わるーいいたずらをしちゃってすみません。もう、これからはしないわ。そいで、切り落としたわたしのものなの、どうか返してー」
と泣きながらたのまったんや。


そいで、助やんは、何もいわんで、切りとった片手を娘さんに返してたらってんとー。
そいから、いく日かたったある日、娘さんは、もいいちどやってきやったんや。ところが、切り落とした片手がちゃんと、もとのままになってるんで助ヤンは、
「どやって、つないだんや」
と聞かってん。すると娘さんは、
「わたし切り傷にめっそうききめのある妙薬を知っとるや。
そいで、娘と思っていやったのは、実はガタロ(河童)が化けとったんやがな。娘さんが教えよったきずぐすりは、いまも「蒲生の錦草・祐玄湯」っていうて、伝えられてんやねと。

外部資料

                               場所の背景

外部資料 平成まで実際に販売されていた。



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