うのんのブログ

奈良西の京薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№15

大和の農業用水
一般に稲作に必要な水の量は 雨の量に換算して2000㎜と言われています。大和平野の穀倉地はいずれの場所も条件に合いません。また古代大和の土地は他の地方よりも早くから開け東洋では中国西安についで多くの人口をかかえ、飛鳥 奈良の都は五穀の一台消費地でもありました。しかし五穀の豊穣を期待する絶対量の「水」はいつも不足していた為安全供給を計るため多くの 池が造られました。日本書紀第五崇神天皇(AD97ーAD30)の項に 六十二年秋七月乙朔丙辰詔して曰く 農(なりはひ)は天下の大なる本なり。民の情みて以て生くるなり。今河内狭山の埴田水少し。是を以て其の国の百姓農事に怠れり。其れ多くに池溝(うなて)を開りて 以て民の業を寛めよ。冬十月 依網(よさみ)池を造る。十一月刈坂池 反折池を造る。とあって池や溝を造ることに意をもちいられています。
薬師寺とよく観光写真にもある大池も 溜池の役割もありました。

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№14

旱魃から池造りにはげむ 1

A

B

A・Bの図は気象庁観測技術資料によって描いたもので A図は 年平均降水量分布 B図は稲作期間5月から9月としたときに5ヶ月間の合計平均降水量分布図を示したものです。C図は昭和28年奈良に測候所(以前は橿原市)が移転後梅雨期 小雨1位の降水量の記録です。(ちなみに梅雨期奈良では360㎜程度の雨が降ります。昭和33年は63㎜程でありました。)
ご覧になって解るとおり台高山脈の南の方は大台ヶ原とその周辺を含め我が国屈指の多雨地であって、ここを頂点にして扇の要の裾がひろがった様な奈良盆地では 多雨地の降水量に比べ3分の1にも満たないことがおわかりいただけると思います。
C図に至ってはお話にならない様な数値で農業用水の不足は極めて深刻でした。

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№13

奈良における旱魃の記録は多くあります。
その中で江戸時代4中期 享保9年(1724年)夏の大旱魃 月堂見間集には 6月上旬より(中略)大坂 奈良の辺りは70日余も雨降り不申候 とあって 2ヶ月に及ぶ日照りを報じています。
明和3年(1766年)7月分ー9日大仏池 (東大寺図書館長堀池春峰氏註 現在の正倉院の池を指す)水 明日十日より切申度旨 芝辻 油坂両村役人届来了 一 17日大仏池水出切候段 芝辻 油坂両村役人届来了 則番人江申付 殺生致哉 相廻候様二申付了 同8月分ノ条三日櫟本村領旱魃二付祈雨之儀 庄屋年寄願候二付 明4日より三カ月之間祈嘉之儀 小綱二以相触之 とあって 心経千巻 仁王経千部等を八幡神宮前で読経しています。 
大和平野全体にわたりかな旱魃とみることが出来ます。東大寺年中行事記より
明和7年(1770年)5月から8月の大旱魃 
天明5年(1785年)6月」の旱魃と続きます。

外部資料です この様に水をたたえた水田にするには古代からの経験に基づく創意工夫があったのでしょう