「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺 花会式 「吉祥天女」 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記

吉祥天女

正月に修す法会を修正会(しゅしょうえ)といいます。そのご本尊が吉祥天女画像です。吉祥天女が幸福と平和と美の女神であることから、修正会には国の安泰、世界の平和と共に五穀豊穣を祈願する行法が営まれます。
この画像は麻布に描かれたもので、彩色がたいへん美しく、独立した画像としては日本で一番古いものです。天平時代の貴婦人の姿そのままで、一月一日から十五日までと、十月二十日から十一月十日まで参拝することができます。



■住所 6360-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 薬師寺花会式

もうすぐ 目の前の薬師寺における 修二会花会式がはじまります。
少し 奈良の民話 の紹介をお休みして 薬師寺にまつわる話をブログします。

この書物は薬師寺さんが発行されたモノです。
背景に 若草山 大仏殿 興福寺の五重塔も写ってます。
また 東塔の元の水煙が入れられています。
薬師寺 名前から 病気平癒を祈って建てられたお寺です。
大海人皇子 後の天武天皇(即位680年) の皇后が病に倒れ、その回復を祈って創建されました。それから7年後薬師寺の完成を見ず 天武天皇はなくなり その後即位された 皇后が天皇 持統天皇となりました。持統天皇は、自分のために夫帝の遺志を受け継ぎ 発願されたこの薬師寺七堂伽藍を 698年に完成に導かれました。
その後幾度かの盛衰を繰り返し、享保元年(1517年)9月7日兵火により、講堂 金堂 中門 西塔 僧坊 回廊が焼失しました。
昭和の御代に結集した善男善女のお写経の功徳により 昭和51年(1976年)昭和56年(1981年)に西塔の復興がされ 今廻廊 中門と復興が進んで 白鳳の息吹が蘇ってきています。
金堂の再建の苦労されたお話はNHKのプロジェクトX  にも取り上げられ 現在の建築基準法にもとずき それを感じさせないようにされたりしたことも内容にあります。

二度と見ることが出来ない光景でです。
西塔の心柱跡に水がたまり そこに映る東塔です



■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺花会式 水煙 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記

白鳳双塔


東塔修復中 水煙新旧

   

天に向かってのびやかにそそり立つ塔には不思議な、人を引き付ける力があります。喜びと憧れを与え私達を引きよせてくれます。白鳳時代の偉容を今日に伝える東塔、昭和に白鳳が再現された西塔 二つの塔は一見六重の塔に身rますが、三重塔です。これは各層に裳階(もこし)といわれる小さい屋根があるためです。この大小の屋根の広がり、重なりが律動的な美しさをかもし出し「凍れる音楽」という愛称で親しまれています。
塔は本来、お釈迦様のお墓です。梵語の「ストゥーバー」が中国語に音訳されて卒塔婆(そとうば)となり、それが「塔婆」更に「塔」となったのです。尊いお釈迦様のご霊骨(仏舎利)を祀る塔を遠くから三重、五重という高い塔が作られたのです。
塔の上屋部を相隣といいます。実はこの相隣が卒塔婆なのです。その基部を伏鉢といいここへ仏舎利を納めました。お墓にさしかけた傘が九輪になり、尊い塔が火災にあわないように水の煙、水煙を作り祈りました。水煙に透かし掘りされた二十四人の飛天は笛を奏で、花をまき、衣を翻し折りを捧げる自由な姿で、晴れわったた大空に、神秘と美のシンボルとして天上はるか御仏を賛じています。

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薬師寺花会式 薬師如来台座 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記

お薬師様がお座りになっておられる台座は奈良時代における世界の文様が集約されています。一番上の框(かまち)にはギリシャの蒲萄唐草文様、その下にはペルシャの蓮華文様が見られます。各面の中央には、インドから伝わった といわれる力神(蕃人)の裸像が浮彫りされ、内から外の様子をうかがう風でもあり、またお薬師様の説法に耳を傾けているようでもあります。東に青龍 西に白虎 南に朱雀 北に玄武の四神で、色と動物により方角を表しその方角を守護しています。
この台座は東西文化の交流を知る上にも貴重なもので、シルクロードと呼ばれる道が海を越えて奈良朝の日本に通じていたことからも、私たちご先祖様が一所懸命文化国家を目指していたことを窺い知ることができます。



薬師如来様をご覧になられた際には その台座にもご注目してみて頂くたく存じます。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺 花会式 仏足石 薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記

仏足石

お釈迦様は二千五百年程昔の方です。おかくれになって、三、四百年間はインドには仏像を形に現わすのは、勿体ないことであるとの考えであったからです。そのかわり仏様の足跡を石に彫ったり、菩提樹の下、石上に坐して悟りを開かれたのだからその菩提樹や天蓋を画いては、それを仏様としていのりを捧げてきました。その後ギリシャ文化の影響を受けて仏像がつくられるようになりました。
仏足石の側面にしるされている銘文によると、インドのマカダ国の仏足石を唐の王玄策(げんさく)が長安の善光寺に写し伝えたものを更に日本僧 黄文本実(きぶんのほんじつ)が遣唐使として派遣された時 日本へ写し帰ったとあります。
この仏足文には、法輪や花等が画かれ後光がしています。これは金堂本尊薬師如来像の足裏とよく似ています。
ご本尊様をお参りに行かれた際には ご覧ください。





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