うのんのブログ

奈良西の京薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№108

県下が氷漬となった日 (昭和56年《1981年》2月26日)
 昭和56年の冬は寒い日の多い寒冬年であった。中でも2月26日は県下全域終日気温が0度以上にならなかった。このため奈良の市内地でも戸外に放置の観葉植物の多くが枯死状態となる等思わぬ被害が発生した。
 奈良の最高気温は-0.2度 県内アメダス観測所が測った当日の最高気温は下図の通りであった。

 明治30年現在の橿原市に誕生した八木測候所の記録をみても 昭和28年測候所が奈良に移転した後も最高気温が氷点下と云う記録はなく 極めて珍しい現象で今もってこの記録は更新されて

いない。
 当日の日記をみると「東京は連続雪降 日本海上空-48度北陸の雪はさらに20~30㎝種子島でも4年ぶりの雪輪島上空-45.1度これも4年ぶり 市内水道凍結 水道破管破裂続出 道路凍結による交通規則 農作物に被害」と歓迎されない記事で埋まっていた。

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№107

「寒さ」にこだわって
昭和52年(1977年)2月16日の寒波
 奈良市の水道局では翌朝の最低気温が-3.0度を予想したとき水道管の凍結被害を警戒して予防体制にお入ると聞いたことあります。低温の予報測については従前からあったものに改良を加えるため あらためて見直しをし 低温予報測のマニュアルを作った。詳しい内容は専門的すぎるため また現在は更に立派な計算式が出来ているが ここでは昭和52年2月16日那羅で-7.8度を観測した日の500hPa面 寒気の移動の模様を紹介します。
2月6日北極付近にあった寒気は約一週間かけて 一方タイミル半島方面からも寒気が移動してきて 13日バイカル湖上空付近で合流
-4.5度という強固な寒気塊が誕生し 4日間んも旅のすえ我が国に襲いかかってきた。

円で囲まれているのが寒気塊で 500hPa面-30度線の南下の模様も合わせて記入しています。

16日至っては北緯30度線を東西に描かれてあって如何に寒むい日であったか容易に想像出来る
 奈良では-7.8度 尾山(月ヶ瀬)-11.0度 高山-10.0度風屋-7.0度と低く寒波の余韻は19日迄続きこの年の最低気温の記録はこの4日間に集中した。18日針-14.0度 池原-7.1度 19日大淀-9.1度 大宇陀-11.5度 川上-8.8度 津風呂-8.6度 田原本-7.3度五条-8.5度となっている。
水道管の水が凍りついて水が出ないと思っていたが氷が溶け出してみると水道管自体が破裂していて凍結が解けるまで破裂に気がつかなかったという笑えない話があり この後の水道業者は大忙がしの日が続いた。最も被害の多かったのは夜間電力で温水器につながっているバルブ付近の故障だそうで 被害実態を調べた結果 思わぬ落とし穴のあることも発見した。以上の様に3日も4日も冷たい日が続いたのは寒気塊の動きが遅く -30度線が鍋底型となっていることからもお判りいただけると思います。これが -30度線がV字型の一過性の場合は概そ24時間程度で通り過ぎてゆくものの 鍋底型では底の部分が近畿地方から遠のくまで解消されず またこの様な場合 えてして 東進するスピードの遅いのが特徴である。

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№106

天気と地形
 お天気を左右する要因の一つに地形が大きく関係する。風の吹き様 雨の降り方 霧の発生等々雪の積り具合も論外でなく 予報する場合は地形 地勢は熟知する必要がある。その様なことから地形図を示した。

ベースになったのは堀井甚一郎先生著「奈良県地誌」にあった地形図で極めて詳細な為若干アレンジしてある。

新雪雪の等値線を描いた。雪の深さの等値線は無理もあって真実に乏しいが近似値として充分参考になり目安として活用できる。尚調査期間は昭和33年(1958年)1月かr昭和44年(1969年)3月までであった。描いてみると十津川 北山川流域沿と大和平野では当然とはいえ積雪回数は少なく 野迫川村から大塔村 東吉野村にかけてが本県の多雪地といえる。