うのんのブログ

奈良西の京薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

垂仁天皇・豊臣秀長の妻お藤の墓

写真は垂仁天皇陵 近鉄橿原線 尼ヶ辻駅から 西側にあります。徒歩約5分です。


天正13年8月筒井順慶の養子定治は秀吉によって郡山から伊賀の国に国替えを命じられ 豊臣秀長は秀吉と共に郡山城に入りました。大和は神国と考えられ、これまで寺院が支配をゆだねられてこました。秀長の郡山入城により 寺院の支配から武家の支配へと新体制の元大きく変わりました。
 秀長には正妻がなく 秋篠の豪族伝左衛門の娘お藤が妻となりました。
 秀長が法華寺会式に参詣したときに 対応した尼僧お藤に心を奪われ懇望して郡山城に連れて帰り契りを結びました。尼僧は戒律厳しい法華寺には戻ることが出来ず叔母の尼僧(心慶尼)のはからいで弘文委院(現興福寺)に入りその後弘文院の衆徒菊岡家で無事女児を出産 子供と共に郡山城にはいりました
 正妻となったお藤は夫秀長によく仕え 秀長がなくなってからは尼僧となり弘文院に戻りました。一人娘のお菊は毛利秀元に嫁ぎました。
お藤は弘文院の墓地に今も眠っています。


写真はないのですが
お藤のお墓は 尼ヶ辻駅から南東約200メートル
豊臣秀長 大和大納言の妻 

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