「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「てんりのむかしばなし」から
「守目堂の由来」 ②


今のように交通機関も発達していませんし、山の中に行くのは大変な事でした。ふもとの時、近くの矢付尻というところの白山権現に、ささやかな観音堂のあることを思い出したました。「壺阪までは行かれないけれどお部屋の深い観音さまは、きっと私の願いをかなえて下さるにちがいない」と、三・七・二十一日の願かけを始めました。毎日毎日観音さまにお詣りをして「どうぞ夫の目を一日も早く治して下さいませ」と、お祈りを続けましたが」しかし、満願の二十一日目になっても、夫の目は一向によくなりませんでした.
妻はくじける事なく「これは私の努力がまだまだ足りないのだ。もう一回、二十一日の願かけをしよう」と、さらに二十一日の間一心不乱に観音さまに祈り続けました。しかし、二回目の満願の日がきましたが夫の目はまだよくなりませんでした。夫の目の病気の快復を願う妻は「満願の日を自分で決めたのでは、観音お聞きお聞き届け下さらないのであろう。私は夫の目の治るまで、夫と共に何日でもお詣りをするのがつとめではないか」と考え直し、それからというものは、夫婦揃って毎日毎日、暑い日も寒い凍りつくような冬の日も、水ごりをとり、はだしの足から血が出てきても、一心にお祈りをつづけました。夫婦の真剣さが観音さまに通じたのでしょうか、ある日、妻が雨戸をあけると、夫は「何か目の中に光るものが入っている」と、妻をだきしめ、喜びあったのでした。それからも観音さまへのお祈りは続きました。しばらくたった或る日、突然夫は「目の中に日の矢が刺さった」と、その場に倒れこんでしまいました。妻は息をしているだけの夫を、静かに横にして眠らせました。どれほどの時間がすぎさったのでrしょうか。夫は突然起きあがって「あっ、目が見える。目が!!お前の顔が!!お前の顔が!!」と、大声をあげたのです。妻は夫の顔をまじ見つめながら「私達の信心が通ったんや。これもみんな観音さまのお陰や」と、涙をこぼし、夫婦はかたく抱きあって共に歓びあいました。
この不思議な霊験から、だれいうともなく、いままで呼んでいた森面堂という地名を改めて「目を守る堂」ということから「守目堂」というようになりました。そして、ここの観音さまは、目を守って下さる霊験あらたかな仏教といわれています。
守目堂の地名とその観音さまには、このようなお話が伝わっています。

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