「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「しめし掛けの森」
むかしむかし、ずうっとむかしの 神代(かみよ)の頃のお話です。
阿陀(あだ)の里に、阿陀比売(あだひめ)といって、それはそれは 美しい女の人が住んでおりました。
阿陀比売は、ににぎの尊(みこと)のおこさきにあたる人ですが、その美しいことといったら、まるで、木の枝々の花が、朝日を浴びて、一せいに咲きにおっているようでありました。ですから、里の人びとは、この阿陀比売のことを、木乃花咲耶毘売(このはなさくやひめ)とよんでおりました。
木乃花耶毘売の美しいことが、人びとの口から口へと伝わっていきました。そして、うわさが遠くまでひろがっていくにつれ、そんな美しい毘売なら、ひと目見たいものと、わざわとざ、遠くから見にやってくる人が出てまいりました。中には、暗くなってから,こっそりのぞきにくる者もおりました。
そうなると、心ぱいになってきたのが、夫のににぎの尊であります。
(もしかしたら、毘売を、誰かにとられてしまうのでは・・・・・・)
(いや、もう毘売には、わたしのほかに、すきな人がいるのでは)
といった、疑いが起こってまいりました。
そのうちに、毘売に、子どもが生まれることになったのです。ますます、疑いぶかくなった、ににぎの尊は、
「おまえの、おなかの子どもは、わたしの子ではないだろう。」
といって、まい日、毘売をせめたてました。そのたびに、毘売は、
「あなたの子どもに、まちがいはございません。どうか、わたしを信じてください。」
といって、いっしょうけんめいたのしみましたが、どうしても、聞きいれてもらえませんでした。
毘売の心は、だんだん、沈記みがちになってきました。
いよいよ、子どもが生まれる日がきました。思いつめた毘売は、自分の手で、産殿(うぶどの)に火をかけたのです。産殿は、たちまち、燃え上がりました。毘売は、おどろいている ににぎの尊に向かって、
「わたしはいま、この火の中で 子どもを生みます。わたしの身が、潔白でありましたなら、生まれる子どもは、必ず、無事でございましょう。」
といって、燃えさかる火の中に身を投げいれました。
産殿は、音を立てて、はげしく燃え上り、あたりの森をまっかにそめました。やがて、飛び散る火の粉と共に、ほのおの中から、元気な男の子が、三人おどり出てきたということです。
阿陀比売神社の東側に、阿陀比売の子どもの、しめしをほしたといわれている、しめしかけの森が、今なお、のこっています。

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