「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「大和の江戸」

♩♩♩ 下田よいとこ
    大和の江戸や・・・♩♩♩
という唄がありますが、明治になる少し前に「権の守」という者が、「さすがに、下田は大和の江戸や」と感心した話があります。
そのころ、権の守と名乗る者が、大坂方面から関屋まできて
「十津川まで行くから、関屋から高田まで送り迎えの人足をよこせ」
と下田村へいってきました。
当時、下田は郡山藩の下でありましたが、郡山藩から「権の守」については、何の通知もないのでいくら催促してきても、人足をだしませんでした。そこで、権の守の方はそびれを切らして、ひとりで下田へのりこんできて、かま屋という道者宿に宿りこんで、えらい勢いでかけ合ってきました。
人足を出せ、出さぬと押し問答すること数日、下田では困って郡山藩へ、どうしたものかとうったえて出ました。すると郡山から足軽の鉄砲組をよこしてくれました。
鉄砲組がかま屋へ乗りこんで行きますと、権の守は白装束に向こうはちまきで太刀をつかんで奥から出てきました。ここぞと鉄砲組では豆鉄砲をうったので、顔へあたりました。権の守はびっくりしておとなしくなり、ついにつかまったといいます。
ひかれて行く時、権の守は、
「下田の村役はなかなかしっかりしている。だまされんよらん。さすがに下田は大和の江戸や」
といったといいます。権の守といったのは、実は十津川の男で、京都で医術を習って故郷へ帰る途中であったということです。

×

非ログインユーザーとして返信する