「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「神野の民話」から 

「神野山の魔除け からす天狗の由来」

今は昔、大和の神野山は大杉一本のほか何ひとつないはげ山で、そこに女のからす天狗が住んでいました。またはるか彼方にある伊賀の青葉山には、草木が生いしげり、美しい岩山があってそこには、男衆の天狗が住んでいました。
ある時、ふとしたことからこの両方の天狗たちが大げんかをはじめ、青葉の天狗は芝生や草木、それに自慢の岩石まで神野山めがけて投げつけ、はてはいきなり立って人の命のもとまであびせつけました。
神野山の天狗衆は身に含んだ人の命を懐妊し、やがて全山は生き生きと芝生が生え、つつじやあせびの花が咲く森となり、奇岩流れる鍋倉渓が出現したということです。
これはまさに豊𩜙の聖地の誕生であり、なだらかなスロープを描くこの美しい山は、万物発生の地(髪生山)、神の山として多くの人びとの信仰の大本となり、だれ言うとなく、この山の天狗衆を豊𩜙鳥天狗(どんずりぼう)と呼び、家々の門口にはそのお面をかざり、幸せが来ますようにと祈ったと言います。
今もなお残る山頂近い天狗岩には男女のシンボルが寄り添って万物の成長を祈ってます。
大和の昔から大和にそびえ、古代人の自然尊崇の神の山とされて来た山、それは神野山であった。
 日本の神産も物語で火の神として生まれた加具土の神がイサナギの命の刀で切られたとき、その烏帽子、お髭が飛び落ちた所が髭生山(神野山)であったという(古事記)。
したがって神野山の祖は加具土の神どんずりぼうであり、その後あらわれた神々には、タケミカズチの神、二ギハヤヒの命、ミヅツチの神などがある(神野三者の神)。
神野山の鳥天狗はその神々の教えを伝え、あらゆる生物、人類の発生、豊𩜙を祈ってきたといわれる。

人々はまたそうした天狗をなかだちとして神を信じ、天狗を身近かな崇敬者として共に仲良く生活してきた。
神野山の天狗の祖は仏法にあらわれる迦楼羅に始まると言われる。
カルラは仏法による人類を守る八部衆のひとつで日本では金翅鳥(こんしちよう)とやくされ金色の羽をのばすと約三百余里、足は三本でくちばしは鳥のようにとがっている。
もともと神野山は奈良興福寺のつながりを持ち、興福寺4には今も本尊を守る八部衆像が残されている。そのカルラのように威厳と強さを持ちながら、あくまでやさしく守り育てるのが鳥天狗なのである。
三本足も鳥といえば歴史上神武天皇を誘導したの金色のやた鴉を思い出すがもともとは太陽の中に住み光を放つ鳥といわれ、大変尊ばれており、これは月に住むうさぎと相対したものとも考えられるのである。
また不思議なことに神野山はずっと昔からn鳥のねぐらであった。そのh数は何千何万羽もいただろう。
夕焼けにそまる西の空を数十羽を一群とした鳥がいく組も鳴きながら神野山さしてと飛ぶ姿はまことに絵に書いたような美しさを示し、里の子どもたちは
カラス、カラス、早よもどらんと神野山んど焼けんど
と声をそろえてうたったものである。

神野山の鳥天狗とはこうした仏法を背にそして現実の鳥と組合した、あくまで美しく立派なものなのである。

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