「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「神野山の天狗と鍋倉谷」


大和の神野山にいた天狗と、伊賀の青葉山にいた天狗とが、けんかをしたことがありました。
神野山の天狗は、青葉山の天狗を、しきりにおこらせましたので、青葉山の天狗ははらをたてて、盛んに石くれを神野山の天狗に投げつけました。
大和の天狗は、何も投げないで、弱いふうを見せていましたので、青葉山の天狗は、いよいよそれにつけこんで、手当たりしたぢに石くれや芝生を投げつけました。
それがやめに、伊賀の山は、石くれや芝生がなくなり、はげ山になり、大和の神野山は石くれが集まって、鍋倉谷ができたり、山頂が芝生になったりしたのです。
また一説には、神野山の天狗は、大きな石をさし上げて、威勢を示しながら、それを投げずにおり、最後に青葉山の天狗目がけて投げつけたので、青葉山の天狗は、ひじがおれて、軍扇と隠れもの降参しました。
その時、神野山の天狗もけがをしたので、その血が草を染めて、名物の紅つつじになったのだともいいます。


神野山の東北のふもとに、ナベクラ谷という所があり、石が累々として数百メートルの闇が谷になり、石の底にはトウトウと流れる水の音が聞こえます。
この石の間から、正直者がのぞくと、死んだ親の顔が見えるといわれています。
それは次のようなことが始まりになっているのです。
むかし、この付近に孝行息子がありました。親の病気のために、毎日奈良へ薬をとりに通っていました。また、時々薬びんをさげたまま、このナベクラの谷の石の上にすわって、東から出る月を拝みました。
その後、ついに親がなくなりましたので、悲しさのあまり、孝行息子は、毎日ここにきて、ありし日の親を思いながら、石の間をのぞいて見ますと、親の顔がありありと見えたといいます。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
雨壺について
五条市の地福寺にアマツボと称する高さ六十糎ばかりのツボがある。これは昔役行者がここで雨乞をした時に竜宮の使いが来て授けたと伝えられるツボでこのツボの霊力によって祈雨の効がありその記念に地福寺が建てられたといふ。
吉野郡川上村高原では雨ツボ渕があってここで雨乞をした。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「しんぐりまくり」

山辺郡山添村に助命(じょみょう)という村があります。むかし、善明寺というお寺があったので、ぜんみょうといったのだろうが、後に助命という字を書くことになりました。
この村のお宮さんは、八王子神社」といって、百メートルばかりもある高い石段があり、下からお社を見上げると、森がこんもりとしげっていて、なかなか神々しいお宮さんです。
この石段には、時おり、夕方になると、「しんぐりまくり」というあやしい者がきて、しんぐりをころばすことがあるといって、おそれられています。
しんぐり とは、竹であんで魚を入れるもので、まくる というのは、高いところから、物をころばして落とすことです。
そのしんぐりまくりの中には、いたずら小僧が入れられているのだというのです。こんなしんぐりに入れられて、高い石段からころばされると、どんなになってしまうか、わかりきったことです。それで、この地方では、子供がいたずらをすると、
「そら、また、そいんぐりまくりがやってくるぞ」といって、おどかしますから、子供はおとなしくなるということです。


また、この近くに小原という所があり、今は宇陀郡室生村になっていますが、むかしの伊勢街道に面して、右側に崖があり、ココを「しんぐりまくり」と呼んでいます。ここで、むかし子供がしんぐりに入れられて、谷底へまくられたのだと、いい伝えているのです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
雨乞の仏様のお出まし
一方 他の此の地蔵を盗んで来て祭ったら大雨が降ったのであわてて返した。平城村(現奈良市)
天理市の各集落では雨乞に竜王に詣るが、ときに他村の竜王の祠を盗み担ぎ廻り池や堀に入れて泥だらけにし、後で洗って返しに行った。
再び三輪町 雨乞は心経を誦んだ後村人が寄ってたかつて地蔵を叩くことがあった。
天理市九条では十三重の塔をたおした
吉野郡市下市町では寺坂の上から地蔵を引きずり下ろして雨乞をすると必ず雨が降るという。非道いとおもえるが坂下に還して祭ったということもある。
奈良市押熊ではコウズイサンという雨の神(石碑)を田になげこむ
天理市萱生では宮さんにある竜王の屋形を池の中へ担ぎこみ泥水をかけるともいう。
吉野郡天川村和田永豊寺の雨乞仏(持国天像)の場合は背負って寺のうしろの川に漬け子供達が裸で水を浴び仏にかけた。
奈良市旧辰市村 松明を焚き 地蔵 観音を担いで「雨たんもれ雨たんもれ」と叫んで歩いた
室生村大野 寺の不動さんを竹馬に載せてダケ(山)に登る
三宅町但馬 三重県桑名郡多度神社のタドさんの祠を持ち出し 水をかけ四人で担いで「雨くだされタドさん」と唄え村をまわった

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「米高岩と米安地蔵」

お米の値段が高くなるか、安くなるかということは、むかしも、いまも大問題で、私たちの生活に大きな影響があります。
五条市小島町の栄山寺境内に大きな忠魂碑が建ってありますが、この石は元来、米高岩といって、栄山寺の前を流れる音無川の淵の上流にあったのだそうです。
この岩の下方が水中に没していたら、その年の米の出来高は平年なみだが、もし下方が水面上に出てきたら、米の出来が悪く、値が高くなるといわれていました。
この音無川にも一つの伝説がある。
むかし、弘法大師が、栄山寺で修行をしようとされましたが、前の吉野川の流れが耳にさわって、どうもうまくいかないので、その流れに向かって、
「音を立てないでくれ」
と一つの石を投げられました。すると、たちまち、あのやかましい水の音が、すっとなくなりました。
これから音無川の名が出たのだといいます。


それとは反対に、栄山寺から吉野川上流2㌔ほどの川の中に、米安地蔵というのがあおられます。
北岸には極楽谷・地獄谷といわれる二つの谷があり、そこを通ると街道の上から、米が安くなると吉野川の川底に長々と地蔵様が現れるのを拝むことができると伝えられています。