「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「蓮糸まんだらと当麻れんぞ」

いまの当麻寺一山の本堂を俗に曼荼羅堂といいます。
むかし、中将姫は雲雀山から奈良へ帰られましたが、発心して十九歳の時に当麻寺へ来て弟子入りを願い、名を中将法如尼と改め、一心に修業されました。二十六歳の時、
「世にはほんとうの仏があるならば、この眼前に現われ給え、われ現身の仏を見なければ、この座を立たない」
と、三十七日の願を立てて念仏三昧に入られました。(これは一生けんめいに念仏を申されたということです。)
そうすると、満願の、暁に、ひとりの老尼が現われて、
「われは長谷観音の化身である。生身の仏を拝みたければ、わたしのいうとおりにせよ」
といって、百駄の蓮の茎の糸をとってまんだらを織ることを命じられました。
中将法如尼は時の帝に願いを上げて、近江・大和・河内から百駄の蓮茎を集められました。そしていよいよ蓮茎から糸をとることになると、どこからか前の老尼に手伝われながら織ることになりました。三把の藁に三升(六リットル)の油を注いで灯として、一節竹を軸にして縦笛ともに一丈五尺(四・五メートル)の曼荼羅を織りあげました。
老尼は織り終わると、いなくなったといいます。
織りあげた曼荼羅を本堂にかけて、懸命にいのっておられると、生身の阿弥陀如来と二十五菩薩のお迎えを受けて、中将法如尼は生きながら西方浄土へ旅立たれたといいます。
その有様を再現する会式が毎年五月十四日に行なわれる当麻れんぞで、中将姫が娑婆堂から曼荼羅堂、すなわち極楽の浄土へつれてゆかれる有様を人々に見せてくれるのがあの練供養というものです。

×

非ログインユーザーとして返信する