「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「当麻の来迎の松」

当麻寺の仁王門をはいって行きますと、中の坊の前に一本の来迎の松という松の木がありました。
いまは枯れてしまっていますが、その株は小屋を作って保存してあります。
中将姫がおなくなりになる時には、紫の雲がアイタイとしてこの松にかかって、仏さまのお迎えがあったので、この松を来迎の松というのだと伝えています。
また、この松は中将姫が奈良から当麻寺へ来られた時に、記念にと、たもとへ入れて来て、お植えになった松だともいいます。
俳人、松尾芭蕉が、貞享元年にこの寺へお詣りして、この来週の松を見て、
 僧朝顔、いく死かへる 法の松
という俳句を作りました。その前書きに
 「当麻寺へ詣って庭の松を見ると、およそ千年もたったと思われる、大きな牛でもたったと思われる。大きな牛でもかくせるほどの大きさである。この松は人間のような生きものではないが、仏の縁にひかれて、切られることをまぬがれたので、幸いにこんな大きくなったのだろう。尊いというような意味のことを書いています。この仏の縁といったのは、中将姫がなくなられる時に、仏さまが、ご来迎になったという松は、何百年も枯れないで、このくらい大きくなっている。尊いことである。」というようなことです。
芭蕉がこの寺へ来た時にはまだ盛んであった松の木も、その後、枯れてしまって、中の坊の中にある松を第二世としていたので、昭和9年には、その松の木の所へ前の句を刻んだ句句碑を建てられましたが、今はその松の木も枯れてしまいました。それで、この法の松も、やはり死ぬ時があるのです。しかし俳句のような文学や、伝説などは、松よりも長く世に残るものです。
9月21日の当麻寺です

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