「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「滝野長者の跡」

山辺の東山中、伊賀境に接して、室生村大字滝野という戸数わずかに九戸ほどの小村があります。むかし、ここに滝野長者というのが住んでいました。
滝野長者は、石工が家業でありました。若い間によく働きましたので、大和でも指折りの長者になりました。しかし、別におごりもせず、もとのまま見すぼらしい家にすんでいました。
長者には二人の子供がありました。兄は馬の名人、弟は親にも似ぬなまけ者でした。そのうち弟は家出しまいました。兄も馬に乗って伊賀の上野方面にいってしまいました。つづいて長者の奥さんも、また先立って死んでしまいました。
長者は力を落とし、村の北にある雄滝の不動さん日参をしていましたが、ついにあるだけの大判小判を、深い滝壺へ投げこみ、その身もつづいて飛びこんで自殺しました。しかし村人は、だれもこのことを知りまんでした。
その後、天気がつづいて、大ひやけがありました。だれいうこtぽなく、滝野長者は、雄滝の滝壺へ金を捨てているらしい、さらえて取ろうということになり、村人総がかりて、水さらえをしてみましたが、金は一つも出ず、底から長者形の大石が現われました。しかし、これは砂と金とでかたまったものかも知れないというので、石を近くの小山の上までかつぎ上げ、げんのうで打ち割ろうとしますと、急にものすごい雷雨がまき起こってきました。人々はみな恐れて逃げて帰りました。その後、また取りかかると、また同じようなすごい目にあうので、村人もついに断念しました。


滝野長者が全盛のころ、大和と伊賀の国境青葉山に、広さ三ヘクタールの千刈田という田を持っていました。六月には、数十人をやとって田植えをしました。ある年の田植えの時、まだ半分もすまない中に、どうしたものか、日が入りかかりました。
長者は、金の扇を開いて、
「日よ、いましばらく待てよ」
とさしまねきましたが、駄目でした。
その翌年から、この千刈田には米ができなくなったといいます。今はこの地は広い茅原で、近年禁猟区になっています。
滝野には、今も長者屋敷というのがあります。

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