「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から


矢継の森
むかし 大和の土佐の殿様が、郡山の殿様の方へ、矢を射ました。すると今の田原本町多にある多神社の西数百メートルのところで、小さな森のある所へ落ちました。これではならぬと、ここからまた矢を続いてふたたび射ました。それからこの森を、矢継の森ということになりました。この地は旧平野村に属しています。
また一説には、むかし、聖徳太子がどこか自分の住むのに適した所はないものかとおおせられて、南から西北の方を向き、
「あの方面がよいように思われるので、これから矢を射るから、わたしはその落ちた所に行こう」
と申されました。そして矢を放たれると、今の矢継の森に落ちました。そこで、家来がそのことを申し上げると、太子はまだ距離が近いからとおおせられて、ふたたび射はなたれると、現在の法隆寺のところへ落ちました。
いよいよこれでよいとて、永住の地とさだめられました。矢継の森には、いま「矢継さん」という祠があります。



天理市の前栽町には、大きなセンダンの木があり、「うらないの木」と呼んでいました。
むかし、聖徳太子が法隆寺を建てられる時、適当な地を占うため、矢を放たれますと、この地に落ちました。しかし、ここではあまりよくないので、さらに射直されると、今の法隆寺のところに落ちたということです。

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