赤膚焼き
現在の赤膚焼き窯元 外部資料
野見宿禰に由来します。
垂仁天皇の時代 弟である倭彦命が亡くなり葬った時 その陵域に近習のひとびとが
生きたまま埋められていくのを あまりにも悲惨であった。それを目にした垂仁天皇は心を痛められました。そんな折り 皇后葉酢媛がお亡くなりになった。かねてから垂仁天皇のお心を察していた野見宿禰は 従来の殉死の風を改めて、土で埴輪を作って是に代わることを献策しました。天皇はこの案を喜納され野見宿禰は土部(はこべ)を呼び寄せ 人や馬などいろんな埴輪を造って天皇に献上しました。そして それを日葉酢媛陵墓に埋め その後殉死は禁止され 埴輪を用いることになりました。
そのことにより
野見宿禰は垂仁天皇ニヨリ 土師職(はじつかさ)に任じられました。土師氏は現在の菅原町に居を構え 五条山で埴輪を制作しました。