「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

赤膚焼き

外部資料

赤膚焼きの窯元 大塩昭山 があります。陶芸体験もできます。なかなか興味深いものです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「川上村の昔話」から
姥捨て山の話 6
むかしむかしな、お爺な、長いこと長いこと病めとって、もうそそうは出るし、どうもかなわんからな、ほかしに行こなちゅうて、モッコ入れてな、ほいで、そのお爺を、もう足腰立たへんし、長年寝とるし、まあ、半死みたいになとんて死なんだんやろうか。ほんでまあ、昔話やけど、そこへみて入れて、そいで、奥山へみてな、我子とさしもちして奥山へ行てんて。
ほいだら、その奥山へ穴掘ってな、そのお爺をいけて、ほいで、ちゃんと片付けといてな、で、そのモッコと杖と棒とをもって、
「おとっつぁん、こんなもんな、人に見られたんやし、もうここで、どないか、いけるか捨てるかするわ」ちゅうて、片付けとったら子はな、
「お父ちゃんかって、こないなったらな、また連れてこんなんさかい、その荷物な、モッコも杖も持っていのら」って言うたっちゅと、子供が、そこで改心してな、後悔したってなあ、びっくりして。死ぬ自分が、また、子に見せんのといっしょやわな。それも戒めやな、やっぱりな。子の知恵になにせられたってな。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

赤膚焼き

外部資料

赤膚焼きは土が良いとのことで、今の赤膚山にて作られるようになりました。そして安土桃山時代に豊臣秀長が大和郡山城主になって お茶に親しんでいたことから 赤膚焼きは高級なものとなっていきました。薬師寺から西に徒歩20分ぐらいでしょうか 窯元さんがあります。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

赤膚焼き
赤膚焼きは奈良を代表する焼き物です。始りは垂仁天皇の弟が亡くなった時に殉死する人々に大変心を痛められました。それを知った 野見宿禰(のみのすくね)の発案で人の代わりに埴輪を提案。その埴輪作りが赤膚焼きの初めです。

外部資料 美しい形の垂仁天皇陵です

天皇陵は垂仁天皇が政を行なった纏向珠城宮が見渡すことが出来る所です。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「川上村の昔話」から
姥捨て山の話 5
息子がなあ、あの、お婆さんを捨てに行くんでしょう。もうな、こんな年寄ってな、なんぼ生きたってなあ、もうお婆さんはもうあれやから、
「わしはな、姥捨て山に捨ててくれたらええさかいに、ほんでもう、わしはもうこの世に何にも未練がないから」と言うてな、でまあ、無理やからに連れて行たんやないのやなあ。
「まあ捨ててくれても、もうわしは観念するから」と言うてな、ほいてまあ、連れて行たわけです。
「それやったら」言うて、息子が負うて連れて行ったと。そしたら、お婆さんは行く道中な、ポキンポキンと枝を折っていったちゅうんですわなあ。ほいてまあ、
「そんならここで、お婆さんおってや」言うて帰ろと思たら
「これこれお前、ちょっと待ち」ちゅうてな、
「あのな、もしお前が道に迷ったらと思てな、すこおしはみな、木の枝を折ってあるよってに、それを頼りに帰れよ」て言うたら、息子は、
「何としてでも捨てられん」と言うてな、またそのお婆さんをな、負うて連れて帰ったという話。私はそんな話ならあ、子供のときに母親の親からから聞きました。おばあさんから