「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「大日堂の鐘」

大和高田市のまん中に大日堂という大日如来をまつったお堂があります。
幕末のころ、荒れはてていた大日堂の鐘をよそへ売りはらいました。
その鐘は大和郡山市の高田口にあるお寺へ売られてゆきましたが、ある夜、その鐘がここの和尚さんの夢枕に立って
「ふるさとの高田が見えませんので、どうぞもっと高い所へ移して下さい」
といいました。
そこで、和尚さんは檀家の人と相談して、
「せっかく買ってきたのを、返すこともならず、いっそ、よそへ売ってしまっては」
ということになり、道具屋の世話で、山城の高田村へ売ってしまいました。
ここでも寺の和尚さんの夢枕に立って、
「ここも高田でうれしいのですが、山が邪魔になって大和の高田が見えません。もっと高いところへ移して下さい」
と頼みました。初めは気にもとめなかったが、何度も夢を見るし、鐘の音も妙にさびしく聞こえます。檀家の人に相談しますと、村一番の老人が、
「それならよいことがある。あの鐘には見事な銘文を鋳こんであるので、鐘を勧進した和尚さんや庄屋さんや村人の、魂がこもっているからにちがいない。だからあれをなくしたらよい」
といいましたので、その銘文を一字残らずけづり取り、ねんごろに供養しました。
それからは魂のぬけた鐘は何の変ったこともなく、よい音色を村中に響かせているということです。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
相撲と蹴鞠
延年の舞や猿楽とならんで中世社寺における催物の一つであった相撲もやはり祈雨あるいはその願菓が行われた。「大乗院寺社雑事記」によれば、康正三年(1457)七月十八日の請雨の際 奈良南北両郷の住人が竜王社のある高山において相撲を行った。二十九日には同じく両郷の祈雨立願による相撲百二十番が行われた。以下雑記によれば興福寺における祈雨相撲の例を年代順に記すと文明三年(1471)八月四日南北郷民雨乞相撲立願 同四年四月二十八日祈雨相撲を衆中に下知 五月八日には費用を西御門郷と花園郷にかけている。同月十一日祈雨相撲に関し、衆徒峰起(翌日落着)同十七年(1485)六月十七日高山にて北郷祈雨相撲 翌十八日南郷これを行う。同年七月二十四日南北郷民馬場院において祈雨百二十番相撲 ただし、郷民零落多き故百二十二番に満たず。延穂二年(1490)八月四日 同年七月四日 明応五年(1496)五月九日にも相撲の記事がみえる。この他添上群八嶋 および山辺群布留郷においても祈雨の相撲が行われた。
蹴鞠については大和では無く綱引き競技が行われた。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「天の岩戸と七本竹」



橿原市の天の香久山(かぐやま)の南ふもとに天岩戸神社があります。神殿はありませんが、岩穴があって、亀津彦命(かめつひこのみこと)をまつってあります。
岩戸の穴は、この山の向こう側の天の香久山神社の穴までつづけているということです。
天照大神が、この岩戸の中へおかくれになった時は、ここで神楽(かぐら)をあげ、舞をまわられたそうです。
この天岩戸神社の境内にある七本竹は、その時持って舞われた笹で、この七本竹のところを湯笹藪(ゆささやぶ)といいます。
毎年七本生えて七本枯れるので、枯れた竹はお守りにつかいました。この竹にさわると腹痛がおこるといって、おそれられています。
神話にある天の岩戸の神楽にこの笹を使ったというので、むかしは伊勢神宮から、毎年、大祭にはこの竹をいただきにこられたが、遠路因難なので、便宜をはかって、この竹の一部を伊勢に移し植えられたそうです。もとは十三本生えていたのが、六本分けてあげたので、いまは七本になったのだといいます。
また、香久山の下方に天の真奈井という清水のわき出る所があります。ここにも岩穴があって、むかし、竜がこの穴から出たといいます。そして、七本竹のある南浦の天岩戸神社の岩戸の穴とつづいているといわれています。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
神楽と八乙女舞
法隆寺五箇条立願の一つに神楽があった。上記同様竜田社神前の祈雨に神楽の奏されることがあったが、詳細は分からない。八乙女舞については「多聞院日記」に天正九年(1581)五月二十三日に「祈雨相殿之衆八乙女舞在之」とあり八乙女は春日若宮社に賊する巫子であってこれが祈雨に舞ったらしい

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「北林の狸」

むかし、橿原市の曽我に北林という豪家があり、この家に長らく狸が住んでいました。
ある晩のこと、この家であずき飯をたたいて、残りをナベに置いて寝ました。夜中に主人が目をさましてみると、二匹の狸がたくさんの子をつれ、ナベのふたを取って、あずき飯をたべさせていました。
これはきっと狸の食物がないのだろうか思って、その翌晩からは、よい食物を作って出しておくと翌朝には、いつもすかっりなくなっていました。
「やい、金を出せ、出さなかったら、殺してしまうぞ」
とおどしたてました。一家の者は、ただぶるぶるとふるえているばかりでした。
そこへ、表の方から、ふたりの大力士が、どしどしとはいってきました。そして泥棒に向かい、
「やい、何をしやがるのだ。ぐずぐずいわんと、さっさと出ていけ」
と大声でどなりつけました。
泥棒は一目散に逃げ去りました。家内の人々はようやく我にかえり、力士にむかって、お礼をのべながら頭を上げて見ると、もう誰もいません。ふしぎに驚かされながら、しばらく眠っていると、主人の夢に狸が出てきて、
「いつもよい物をいただいております。ご恩返しに少々お助けしたばかりでございます。」
といった化と思うと、目がさめました。
これから、北林の一家は狸を命の親として、ますますていねいに取りあつかっていたということです。