「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

薬師寺から唐招提寺近くの 「天満神社」

唐招提寺の一部の様な感じですが 菅原道真公が 太宰府に流される前に 自分の顔を映した井戸(水がたまった所)のあるじんです。別名 水鏡天神社 と言われていますが 地元の方にも 多く知られていません。唐招提寺北側に いつもひっそりと静かな神社です。

薬師寺近くのうのんから大和気象歳時記

「川上村の昔話」から
「蛇婿入り」
蛇はね、蛙を取ってね、蛙を飲もうとして蛙くわえてしとったんでね。お婆さんが蛙かわいそうに思てね、
「蛙を助けてやってくれ。こらえてやってくれ。そしたら自分とこの娘やるさかいに」言うたらね、すぐに蛇が逃がしたってねぇ。
それから
「その娘をくれ」言うて何回も来るんやてね。ほいてしたときに、娘とこくるさかいね、そのときに男になって来るらしんですわ、うちへ。ほんでその人がどこへ帰るやしらんと思てね、その人に針ぃ糸刺してね、着物へ縫いつけたらしいですわ、糸を。そしたらその人がズーッと引っ張ってね、ほいて向こへ行ったら、大きな大木のね、氏神さんの神木の上へあがっとるねて、その糸がね、ほいで見たら、上に穴があってね、そこへ大蛇が入っとるって。それからもう、あら大蛇に違いないさかいに焼こら言うてね、どっさり何かを積んで焼いたらね、蛇が頭を二回も三回もさし上げたけど、焼けて死んだ、とかいうような話を聞いたことありますわ、昔話にね。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

赤膚焼き

外部資料
赤膚焼き 釉薬によって赤く焼き上げられたものではなく、五条山付近の陶土を使って焼くため、釉薬のかかってない素肌の部分に、暖かみのある灰かな赤みを指すところから、柳沢保光功によって赤膚焼きと名づけられた。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「川上村の昔話」から
「蛇女房」
女の人が毎日毎日川の淵の山へ草刈りに行っとって、毎日川で、水鏡いうて、川の淵で顔を映して頭(かしら)の毛をときつけとった。そしたら、ある日のこと、蛇にとりつかれたいうかね。いつでも川の淵で顔映して化粧しとったもんやよって、その中におった蛇体に懸想されて、とりつかれたちゅうかね。そして、その嫁さんになれいうので、蛇の嫁さんになってしまった。やむをえず沈んでしもて、子供一人残しとって、子供が毎日毎日泣いて淵のほとりへ行ったら、淵から出てきて乳を含んで、またサアッと帰って、ということをとって、しまいに続かんから、もし子供が泣いたらこの玉をあげるから、この玉を見て私だと思って、こういうことで、嫁さん、もう仕方ないから、自分の目の玉をえぐって、それを手でつかんで、そう言うて、自分は盲になって、また蛇の姿になって淵へ沈んでしまった。
旦那さんは嫁さんの目玉をとって持って帰って、子供が夜泣いたら、それを見せたらいっぺん泣きやんで、またすやすや、また泣いたらこっちの右の玉を見せたらまた泣きやんで、すやすや眠ってすごして、子供は玉を見て母だと思って、目の玉を玉にかえて、立派な人になった。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

赤膚焼き

外部資料

古歌に
衣だに二つありせば 赤膚の 山に一つは、貸さましきものを
と歌われるいる程 400年程前の五条山は赤土が、一帯に露出し、盛んに陶工が掘り出されたようだ。
小堀遠州は古田織部について茶道を究め、将軍家茶道師範と呼ばれる大名茶人であった。若い時、郡山に住んで、赤膚の茶陶を見守っていた