「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳事記№212 雨乞

都祁水分神社


水分神社は東西南北に一社づつ その北に位置する神社です。
この地は 人々から忘れ去られていましたが 過去のTV番組「真珠の小箱」にて紹介され 知られることになりました。 8千年前に人が住み 3千年前に忽然と居なくなった それは 農耕を拡げる為に 飛鳥に移住したのではないか と考えられると この地の歴史を研究されている 古老に話を伺った

神社の南西に位置するこのちに住居跡があった と伺った。
田甫が美しく 静かな山あいの集落の土地柄が 人口増により広い所を求めたと想像ができる。

薬師寺近くから 今週の本の紹介です

先週に引き続き 岡部恒治氏の本です。
学校の数学とは全く違った 思考トレーニングの為の数学

薬師寺近くから 大和の気象歳事記№211 雨乞

水分神社  葛木水分神社


以前に詳しく水分神社のこと 葛木水分神社のことブログにかきました。
再度訪れました。雨の日
葛木山の麓近く こじんまりとした 神社です。
背後に山からのきな川があり この水を大和平野に流すことが国の繁栄に繋がったことは地形から当時の様子が想像出来る地形です。

薬師寺近くから 大和の気象歳事記No.211 雨乞

水分神社
奈良は雨が少ない 稲を育てるのに十分な水がない。
山の水源から水が十分に大和平野の田畑に流れるよう 大和朝廷の盟により大和の東西南北に分水嶺に神を祀る 水分神社は国家的大事業として行なわれた 崇神天皇と考えられている。
       
          都祁水分神社

葛木水分神社      宇太水分神社

  吉野水分神社        外部資料の地図です

薬師寺近くから 大和の気象歳事記№210 雨乞

水分神社
以前も水分神社についてはブログに書きました。少し違った見方から書いていきます。
「大和は国のまほろば 畳なずく 青垣山籠れる 大和のうるわし」とあるが青垣の 山腹から 山麓から 時には里から仰いで神の教示のままに自らの精神生活を律したのでしょう
縄文時代 BC14からBC4 人口晩期17万人
弥生時代 BC4からAD250 人口50万人
古墳時代 250年から592年
飛鳥時代 592年から710年
奈良時代 710年から794年   人口451万人
平安時代 794年から1185年


縄文時代後半から農耕が進展 水稲栽培への準備が出来る
米作りは 稲作は縄文時代後期約3,000年前に中国(大陸)から伝わる 経路は諸説ある
弥生時代には 水稲栽培が東北まで広がる
米は他の作物より栄養価が高く 人々の栄養状況も良くなり 人口が爆発的に増える
BC3には卑弥呼を女王とする倭国 邪馬台国は稻作栽培の農業がほぼ完成
米作りは個人では出来ない 水を支配管理する必要がある そこで 共同作業が始まり「結」がうまれる。
やまと平野は雨が少なく 雨乞が盛んになる