「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの「うのん」から大和気象歳時記 北葛城郡

大和のカエルと河内のカエル  
むかし、大和と河内に帰るがいよってん。
大和のカエルは、
「こりゃま、河内ちゅうとこ、この山越えたらあるちゅうこっちゃが、いっぺん見たいもんや。」
ちゅうて、のそのそ、岩屋峠ちゅう坂、登って行っこってんと。
ほたら、同じころ、河内のカエルもな、
「大和ちゅうとこ、死ぬまでにいっぺん、見たいもんや」
そういうて、むこうから岩屋峠ちゅう坂登ってきよてんと。

外部資料

(岩屋峠 大阪府 奈良県にまたがる峠 標高474.2mの二上山雌岳南方に所在)


ほいで、両方から登ってきっよた両方のカエルが、山のてっぺんで、ふっと出会うたんやと。ほて、
「おお、おまえどこへ行くねや」
ちゅうたら、
「わしゃ、河内かた大和を見に行こうと思うとんねや。おまえ、どこへ行くんや」
「わしゃ、大和で大きゅうなってんけど、いっぺん河内あ、おまはんとこ、見たいと思て、これから行ってみたろうと、ここへ、登ってきたんや」
「あ! そうか、へたら二人ながら、わざわざ見にゆかんでも、ここで伸びあがって、のぞいてみようじゃないか。ほたら、よくわかるで!」
と、河内のカエルがいおったんで、大和のカエルはな、
「そやな、それもよい。ほんならここで、たかーいとこへ登ってのぞうこうか」
そういうて、河内のカエルも、」大和のカエルも、
「よいしょ」
そういうて、腰のばして見よってんと。ほたら、カエルの目玉ちゅうのん、うしろの方についとるさかい、立ちあがりよったら、自分があるいてきよった方がみえたんやが。
大和のかえるさん、大和の方みてな、
「あーあ、河内ちゅうのんは、大和によう似とるわ。キミ―、ほんとに大和とちっとも違わんで)
ほたら、河内のカエルも、
「なーるほど、キミーのいうとおりや、大和と河内はそっくりじゃ、ほんならわざわざしんどいめーして見に行くことないで」
そういうて、大和のカエル、河内のカエルは、登ってきた坂を下って行こてんと。

■住所 630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡  0742-43-8152

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 長谷寺のお話

蓑丸長者 桜井市
むかし、初瀬から宇陀へ越える山の峠に、ある若いもんがおったんや。それが十九のある日、一日のうちにオトウとオッカアに死なれてしもたんや。涙にくれてたが、野辺おくりがすんでから、親の菩提をともらうねというて、長谷の観音さんへ月詣りをはじめよったんや。若いもんは正直で、よう働きよったが、貧乏やった。
三年間、月詣りをしよったが、結願の夜、長谷寺の観音さんの前で三籠して、すき腹をかかえながらもう、とぼとぼ、峠へ登って清ってん。ほたらイモの蔓が、地面を這うとるんで、掘っていかはったら、底から壷があらわれてんと。
そいであけてみやったら、小判がいっぱい詰まっておってな。しまいに長者にならってんと。ほてから、長者はんは観音さんにお礼のために上げやった十三重塔は、いまも長谷寺の塔頭に立ってるそうや。

外部資料 塔頭です 十三はないですが 想定できるもの


ほてからむかし長者屋敷があったところの北側の谷を「タイの骨」ちゅのは、二代目の蓑丸長者がぜいたくしやって、毎日食べやったタイの骨が埋まったところや。

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 桜井市のお話

三輪山で力くらべ 
むかしのことや。
三輪山の南に川合ちゅうとこがあってな、そこを流れる栗原川(ゆうばら)に架かったったちったちっちゃい石の橋をこんにゃく橋っていうのや。その橋のたもとに、ちょっとした石があったんやと。
むかし、唐の使いがわが国へきたはじめたころの話やが。あるとき、唐の使いの賀王と日本の代表の仁王が口争いをしやってんと。どちらも争いつづけやって譲らはらいんので、とうとうしまいに、
「それでは、力くらべをしてきめようではないか」
ちゅうて、まず、唐の賀王がさっそく三輪山へ登らってんと。
ほて、賀王は、三輪山の頂上」から、ものすごう大っきい石を両手でさし上げて、仁王が立ってる川合の里めがけ、ありったけの力を出して、投げつけやってんがー。石は、川合の里へむけてうなりを立てて飛んでゆきおってんと。ほたら、川合の里で待ってらった仁王は、飛び落ちて来る大石にビクともしやらひん。持っていた棒で、「エイッ」って、たたき割ってしまやってんと。
ほてから、その石の半分を小川に架けやったのが、こんにゃく橋となり、もう半分を橋のたもとに置いときやってんと。そいから、賀王にかった仁王が川合の里のとなりに住み着きやったんで、今でも川合の里の南に仁王堂というところがあるんやと。

外部資料 栗原川


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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 桜井市 初瀬

加賀の金沢かねどころ

むかしむかし 初瀬(はせ)の里に生玉っていうた長者はんがいやはった。その長者に、わごというた美しい娘さんがやってんと。やがて二八(十六)のとしにならったら、
「わしをもろてんか」
いうて、ほうぼうから若ものがやってきやって、長者の門前は市場のようなにぎわいやってんが。
そやけど、もってこいにムコはんが無いもんやさかい、長谷寺の観音に
「どうかよいムコがきますように、顔はどうでもよろしおますから、たさしゅうて親をだいじにする人を」
そういう願をかけやって、お堂にこもってやったら、生玉長者はんと娘はんが同じような夢を見やってんと。
「お前たちの望んでいるムコには、加賀の藤(とう)の五郎よりほかにはない。わごよ、藤の五郎とお前は生前から宿縁がある。とく(早く)行って五郎の嫁になれ」
そいで、長者はんのみょうとは、喜びいさまってな、しっかり嫁入り道具こそらえて
初瀬を出立、山城、近江、若狭、越前といくつかの山河をこえ、とうとう加賀につきやてんが、そやけどなかなかわからひんで、あっちこっちと探し回ってようやく藤の五郎を見つけやってんと。
ほてから観音さんの御告げやさかい、美男子で、金もある申し分ないムコ殿と思うちやっったら、なんと、五郎っていう若もんは、イモばかり食べてて、きものはボロボロ、髪はボウボウで垢だらけ、よごれた顔はまっくろけやってんが。しかし、観音さんの御告げでここまできたんやから、どうしようもないいうて、藤の五郎はんに無理にムコ殿になってもらはってんと。
そいで長者はんは、娘のみょうとが一生あそんでいてもよいいほどの金をおいといて大和へもどらってんが。ほたら、慾のない五郎は、親の長者はんからもらった金を全部、貧しい人にやってしもうて、毎日イモを掘るのが仕事やってんと。
大和の初瀬へ帰らはった長者はん夫婦は、風のたよりに聞く娘と五郎はんの貧しいくらしをふびんに思やって、ひとつつみの砂金を旅人にたのんで加賀の国までとどけてもらやった。喜びやったわごさんは、親から送ってきた砂金の袋のことを、五郎はんに話しやったらな、
五郎はんな砂金の袋をもって田の中へでていきやって、飛んできよった雁(ガン)に
「ガンよこいこい これやるわ」
そいうて砂金をぜんぶなげつけやってんと。さずがのわごさんも、
「まあ、あなた何をされます。それは砂金と申して貴い宝でっせ。」
っていやったら、五郎はんは、
「こればっかりの砂金がなんだい。砂金が欲しけりゃ、いくらでもいくらでもあるわい」そういうてわごさんといっしょに、いつもイモをほっていやる畑へ行きやってなー。畑の砂を手ですくい、沢の水で洗うて、
「ほれ、見ろ」
そういうてさし出されら、全部がキラキラ輝く黄金の砂やってんと。
五郎はんは、それからも砂金なんぞ目もくれんと、イモがばっかし掘ってやってんkぇど、いつしか国司(こくし)ちゅうえらいお殿様が、この話を聞かはってなー、藤の五郎を召出していろいろなほうびをやったということや。
そいから金沢とよぶようになってんと。

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記 イヌの足

イヌの足 奈良市
むかしはな、この三徳ちゅにゃ、これ4本あってんや。サントクっていうに4本脚ちゅうのはおかしいていうてな、仏さまが、そいを一本ちぎらはってな、向こうからきよった犬が三本脚でなんぎしとるさかいいうて、一本やらはってん。
ほんでな、仏さんにもろうた脚やよって、しょんべんかけてよごしたら、もったいないとな、後ろ足をこういうふうにあげよんてねん。

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