「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

帯解地蔵

外部資料

奈良から南に行くと帯解寺がある
ここの本尊は地蔵尊で、帯解地蔵とよばれ、毎年7月23日24日の地蔵祭には女性が多く集まりお参る。
昔、文徳天皇の皇后明子、すなわち染殿皇后は懐胎され、月が満ちてみ生まれないので、宮中では大変心配していた。ところがある夜皇后の夢に、
「奈良から南へ一里ほどのところにある寺の地蔵さんのからだに帯を巻きつけ、それを皇后のからだに結んで、さらにそれを解いたら安産する。」
ということをみられた。
翌日天皇にこのことを話され、それはほんとうかもしれぬといって臣下を遣わして、帯を賜ってきて、夢のとおりにされた。すると間もなく皇子が安らかに生れられた。天皇も皇后も大変喜ばれ、この地蔵に子安地蔵という名を賜った。このときの皇子はのち九歳で即位され清和天皇となられた。オビトケという名も、この腹帯を解かれたとかれたところからついたので、寺の名からさらに地名にもなったのだという。

■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742-43-8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

狐塚 奈良古市

外部資料

山之辺の道を南に行くと 古市の集落がある。その中央部の田の中に、約10㎡の塚がある。昔ある人が、田を耕すのにこの塚が邪魔になるというので、開墾しかけに見慣れなぬ火が見えるので、怪しんでその方へいくと、そのままついにかえらなかった。それからこの塚を狐塚とよび、人々は恐れて手をつけられなくなった。

■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
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新薬師寺&大江山

外部資料

昔 新薬師寺に一人の稚児がいた。ある日、付近の山で新しい死体をみつけた。好奇心のあまり稚児はその肉を切り取り、寺に帰って師の僧にすすめた。僧は人肉をは知らず珍味だと喜んで食べた。稚児はその後もたびたび肉を持ち帰った。どうもおかしいと僧がある夜稚児をつけてみると、稚児はすでに寝静まった奈良の町に出て、身を忍ばせて通りかかる人をうち倒し、新しい肉をみたげに差し出した。僧は厳しく詰問して稚児を責め、身を縛って寺の山に捨てた。そこからその坂を稚児坂という。その稚児は間もなくこの地から姿を消したが、のちの大江山の酒顛童子という怪物は、この稚児の後身であると語り伝える。


■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
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山の辺の道

外部資料

北山之辺の道は 新薬師寺の南門を出ると、右側に小さな社がある。鏡神社といって天平12年(740)橘諸兄 僧玄昉 吉備真備らを除こうと乱をおこした藤原広嗣の霊を祀る。鏡神社の前から田園がひらけ、東に高円山がやわらかな曲線を描き、小高い丘を越えてつづく道。「山之辺の道」である。この道がいつからできたかはあきらかではないが、盆地がまだ一面湿地帯だったころから、大和の北と南を結んでいた最古の道であある。この道沿いにはその歴史の古さを物語るかのように、幾多の史跡が点在する。能登川を渡ったところに百毫寺がある。この寺は天智天皇第七皇子志貴親王が、離宮の山荘を移して開かれたという。



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■℡0742‐43-8152
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薬師寺 西ノ京

外部資料

外部資料

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有名な国宝薬師寺東塔は大屋根が三つと小屋根が三つ 五重とも六重とも見えるが、実際は三重の塔に小屋根(もこし)が一つずつけられているれているのである。この塔は「竜宮の塔のうつし」だという。昔、ある工匠に、夢に薬師如来が天竺から渡ってきて塔の建立を命じた。それから毎日塔の図を引いて苦心したがなかなかうまくいかない。ある夜、また薬師如来の夢のお告げがあって、竜宮城内の立派な塔を見ることができた。その形を写しとることができて、ついに仕上げたのがこの塔だという。

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