「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

天誅組 2
天誅組は統幕からそんのうへの先駆けと思われる。それを奈良の五条で起こり失敗に終わっている ならでもこのことを知る人々は少なくなっていいるが 日本中に影響を与えた事件であった。

外部資料


そこで
「残念さん」信仰
天誅組の指導者であった吉村寅太郎は今の東吉野村で戦死するが、その後、その霊を「残念さん」としてあがめ信仰するという風習がおこった。これは寅太郎が戦死したとき「残念無念」の言葉を残して倒れたという言い伝えがもとになっているものである。
今も日本各地に、自らのこころざしをはたせず非道の最期をとげた人を祭る例が残っている。こころざしをつらぬこうとした死者に対するおそれや尊敬の気持ちが信仰心を生み出しらのであろうか。
東吉野村の「残ねんさん」信仰もおそらくこうした素朴な民衆の気持ちの表れであろうと思われる。



■住所630‐8053奈良県奈良市七条1丁目11‐14
■天誅組0742‐43‐8152
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天誅組
1863年文久3年 天誅組の乱がおきた。
江戸時代末 古くから大和の南の玄関口としてひらけていた五条の町で封建社会をゆるがす大事件であった。江戸幕府を武力で倒そうといた幕末最初の反乱として知られている。
アメリカペリーが、浦賀に二度目の来航により、日米和親条約をむすび、鎖国をといてから9年の後であった。
欧米諸国との貿易が始まり 生糸 絹織物 茶などが輸出され 安い綿糸 綿織物が大量に輸入され 今までにの流通のしくみがこわされ 物価が上った。社会も経済も根本から動揺していた。
こうした情勢を乗り切るために 幕府と調停 有力大名の連合政府をつころうとする 公家合体派とあくまで外国勢を追いはらい天皇中心の尊王攘夷派も現れ 両派互いに勢力の拡大をはかって争った。

外部資料

吉村寅太郎らの墓 外部資料


文久3年(1863)8月京都では尊攘派勢力が主導権をにぎり、13日には公家合体論者である 孝明天皇にせまり攘夷を祈るために大和に行幸するという詔を出させた。尊攘派志士のなかでも急進派といわれる土佐国出身の吉村寅太郎らは、これを倒幕の行動をおこすチャンスと考え、同志の公家中山忠光をかついおで孝明天皇をやまとに迎え、全国の反幕府勢力を結集しようとくわだてたのである。この中山らの一派がのちの天誅組とよばれることになった。


幕末の話です 全国的にも有名ではありませんが その後に大きな影響与えた事件かと思われます。出来たら NHKの大河ドラマ 期間が短いので お正月番組などで取上げて欲しいと思ってます。



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幕末の大和
嘉永7年(1854)6月、近畿地方の中南部に大地震 大和の各地には大きな被害が起こった。春日大社の灯ろうが倒れ下敷きになってけがをする人もいた。また奈良町の町家が一割ほど倒れ、数百人の死亡があったといわれている。

外部資料

また添上郡 古市村では、村の山間をせき止めてため池をつくっていたが、そのため堤がこの地震で切れ、流れでた水によって人家が押し流され多数の死者が出たという。
地震の恐怖がおさまらない安政5年(1858年)夏ごろに大阪ではやり出したコレラが 大和のも瞬く間に広がった。これでも多くの死者が出た。社寺にすがった。
こうした厳しいい現実の生活から救いを求める人々の心のよりどころになったのもの一つが天理教である。
天理教は山辺郡庄屋敷村の主婦 中山みきさんが天保9年(1858年)の神の啓示を受けてはじめた宗教である。その後京都の吉田神道家から「天輪王明神」の神号を伝授され、新しい神として認められるようになった。



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いつも ブログをご覧頂きありがとうございます。
この写真の撮影場所から徒歩3分ぐらいのところでカフェを営業しています
奈良の大和の深い話 民話 伝説 歴史等 奈良 大和に関する書物をご覧いただけます。
先月 「まち ライブラリ-」に参加させて頂きました。
まだ概要はわかっていないのですが マイクロライブラリーを繋いでいただいている全国的なモノです
先日創立者の方が当店にお越し頂きました。
大和民俗学系の書物をご覧いただきました。
奈良に関する 雑誌もおいております。
奈良を旅行される時はご参考にしていただける書物があります。
そこから 情報をもってお出かけ頂ければ 幸いです。
奈良の書物からその内容を明日から紹介いたしますまた紹介いたします。


この写真は以前のものです。HPにも載せています。
若草山 東大寺大仏殿 これでは分かりずらいですが  興福寺も五重の塔も見えます。
薬師寺 双塔 金堂 手前が 勝間田池 万葉集にも出てくる光景です。
スマフで撮ってもこれ位です
中秋の名月の日には毎年多くの写真愛好家の方々がカメラを持って来られます。

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5日(月)6日(火)
12日(月)13日(火)
18日(日)19日(月)20日(火)
26日(月)27日(月)

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