「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

御祓祭り 7月30日31日

外部資料
綱越神社は桜井市三輪町の温祓(おんばら)にあり、大神神社の摂社である。昔は初瀬川がこの付近を流れており、舟で来ても、また西の大泉の方から歩いて来ても、ここからまっすぐに大神神社へ参ったのである。社のほとりに、「駒つなぎの松」があってこれに馬をつなぎ、この祓戸の神でお祓いをして参ったわけである。
昔は6月と12月の晦日には宮中で大祓いがあり、民間でもお祓いをして半年の罪穢れを祓ってもらった。6月晦日の祓いは暦の上の夏から秋へ越す祓いであるので夏越祓い(名越祓い)といったといわれている。この社も古来夏越祓いをした社であるので、古い灯籠に夏越社とあるのはそのためである。ところが、もっと昔は綱越社といったということで、夏越が綱越に転訛したという説と、その反対に綱越が夏越に転訛したという両説がある。「八雲御妙」には、なごしとはもともと邪神をはらいなごめる祓いだとある。
本社は夏越社、または綱越社というのが本名であるが、延喜式神名は綱越ノ神としられる。この付近では「おんばらさん」といわれており、鎮座の地も小字が「おんばら」となっているのがおもしろい。ここの綱越祭も一般には「おんばら祭り」と呼ばれて、もっと心やすく「おんばらさん」といわれて三輪地方では最もにぎやかな夏祭りである。
綱越神社の社頭の鳥居には直径2.5メートルの茅ノ輪がつくられ そこをくぐって参拝し、持参の人形(形代)にそれぞれ家族の名と年齢をかいたものを、拝殿のわきに置いて唐櫃に納めて帰る。その形代の左右の肩 胸のところをなで、深い息を三度吹きかけて納めよと教えられる。この形代は参拝者に代わって、神職が初瀬川へ流し、一切の罪穢れを祓い清めるわけである。


三輪おんばら音頭
一、ハアー 三輪のおんばらさんはョ 花火があがる 大和国原 夜空をかざる
                  燃えているまに ソレ燃えているまに
                          またあがる
二、ハアー三輪のおんばらさんはョ 諸環こいし 笹船そえて そうめん流し
                  味はたまらぬ ソレ味はたまらぬ
                         そうめん流し
三、ハア―三輪のおんばらさんはョ 踊りにはずむ 大神様も 浮かれてござる
                 月も浮かれて ソレ月も浮かれて
                         三諸山


6番までつづく



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畝火山口神社夏祭り お峰デンソソ 7月28日29日

外部資料料

畝傍山の山麓(昔は頂上)に鎮座する畝火山口神社の夏祭りは、毎年7月28日29日の両日行われ、俗に「お峰デンソソ」といわれて、近在からの参詣者も多く、参道には露店が立つ並ぶ。昔は近在42村の郷社であった。農家では「お峰デンソソの太鼓が
聞こえたら田にはいったらあかん」といい、この日を目途に修理に励み、終わってしまうようにつとめた。28日の夜の参道に五色ののぼりがたてられ、近在からたくさんの参詣者で賑わう。特に夏痩せするような子は、綿入れを着せると御利益があるといわれている。
この祭りのなかでもっとも中心となるのは、「お水取り」といって神水を汲む神事である。
28日の早朝(今は26日)、神官が吉野川へ神水を汲みにいくのである。壺阪峠を越えて土田へ行くのであるが、明治維新前は武装した12人の供を連れて、道中をおごそかな行列でおこなった。道中はおごそかな行列で行った。神官は大谷播磨守を名乗っていて、高取藩頭を通るときも、「播磨さんのお通りや」といって、道をあけたといわれる。維新後も馬二頭と供二人を連れて行ったが、今では宮司が電車で行くようになった。水取場は、土田の吉野川辺の周囲二丈あまりある榎の木のあるところで、その木の下で修祓式をし、水を水取り桶に入れて持ち帰ったといわれる。
この宮からこうして吉野川の水を取に行くのに対して、大阪の住吉神社からは、毎年祈年祭と新嘗祭にはもとの境内である畝傍山頂上の土取り場へ埴土(はにう)を取にくる行事がある。この行事を「住吉の土取り」といいい維新前には騎馬で練り込んだといわれ、「摂津名所図会」にもそのことが記されている。
昔は、武装した行列が雲梯(うなて)の川俣神社まできて、神社の前を流れる川で身を浄め、神社での祭式の装束に着替えたので、川俣神社を一名「装束の宮」ともよばれる。畝傍山の中腹に「馬つなぎ」というところがあって、そこに馬をつなぎ、徒歩で頂上にのぼり、「天の真名井」と伝えられる霊水で手を浄め、畝傍山口神社宮司が三つかみ半の埴土を取り、山を下る。土を入れる箱は、昔は毎回新調されたが、今は唐櫃を常用している。この土をもって住吉神器がつくられたという。近年「埴土取り」の日は二月十七日と十一月二十三日の前十日間ぐらいのうちで、住吉、畝火山口の両社のあいだで日を決めておこなわれるので、毎年少しずつ日のずれはある。


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灯籠流し 吉野郡上市町 7月下旬

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上市は下市とともに古くから吉野奥地との交通の足だまりで、物資の集散市場として多くの商店が栄えてきた。これらの商店が自家の取り扱う商品を組み合わせて、舟や車などで、様々の姿を作って組み立て、祭りの催しとしていた。大正6年、上市実業協会(現在の商工会)が誕生し、商工祭の催事しとしてこうした造り山(たてやま)を呼びものとしたが、昔からあった灯籠流しもこの期間中の行事とし、さらに吉野川沿いの花火大会もこれに加えて、近年はとみに多彩な夏の行事を展開している。
灯籠流しは昔は三年に一度ぐらいの不規則なものであったが、毎年の行事となったのは戦後のことである。元来は宗教的な行事で、水死者の供養などの意味で行われたのがはじまりであろう。
灯籠の造りは、板切れの台の上に割箸様のもので四隅に柱をたて、これに和紙を張って囲んだ20センチ立方ぐらいのぼんぼりである。幾千個とも数知れないこの灯籠に灯りを点じて吉野川にながすのであるが、波間に灯かげを乱しながら、あるいは早くあるいは遅く、相寄りまた離れて川面をくだってゆくさまは壮観である。
下流の五条市では8月15日に灯籠流しが催される。

外部資料
初瀬川の灯籠流しは、文久8年(1811)の大洪水の時の水死者慰霊の目的で行われる。

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帯解寺の子安地蔵会 7月23日 24日

外部資料


子安山帯解寺は千二百年前の神護景雲二年(768)の創建といわれている。文徳天皇の御妃染殿皇后が久しく御子なく、御憂慮の時に皇后の祖神である春日明神の夢の御告げによって、この寺の本尊子安安地蔵菩薩にご立願あらせられた。そして皇子惟仁(これひと)親王
(清和天皇)をご安産あらぜられた。よって天安2年(859)清和天皇が即位されると新たに大伽藍を建立になり、寺号を帯解寺賜ったという。今の上皇后美智子様がご懐妊に際し三度、安産帯をご献納 安産球子の寺として知られている。
古式にのっとり地蔵会大法要が営まれる。

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解除会 蓮華会

外部資料

夏にそなえて大和の各地で、「名越の祓」「蓮華会」などと呼ばれる除厄防病の行事が行われる。聖武天皇の勅願で鎮護国家の大寺として創建された東大寺では、7月28日大仏殿の前に茅草でつくった径3メートルにも及ぶといった茅ノ輪が設けられる。午前8時から東大寺僧侶がこの茅ノ輪をくぐり、世界一の金銅仏に厄除けの法要が行われる。まず本尊に礼拝をしたあと、散華 神分などを行ったあと、天長地久 伽藍安穏 所願成就を祈願し、最後に仁王護国般若経を講じ、この法要は終わる。
「東大寺要録」によると、延喜元年(901)悪病が流行したので、朝廷から天下の病疾を除く祓行を行うよう諸寺に通達され 6月28日 東大寺 興福寺 から僧各72人 元興寺・大安寺・西大寺・法隆寺から各20人」を請し、秦楽人63人を迎え、東大寺の講堂で行われ たことが記録されている。


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