「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「聖徳太子のおくりもの 大和郡山の語り伝えたい ふるさと民話 稗田の村と広大寺池

「よし!いつでも水が使えるように池をつくらせよう。」
聖徳太子さまはさっそく馬にまたがり、
池の場所を探しに行かれた。


「ふむ。あの松の木の向こう、あの山すそがよかろう。
堤防をつくり山からの水を貯めてはどうだろうか。」


お供の者は申しあげた。
「隣の国からやって来た
池づくりの名人を呼んでまいりましょう。」
「馬や大工も集めましょう。」

いよいよ、池づくり。
たくさんの人や馬。
みんな力を合わせて、
どんな仕事をしているかな?
樋門づくり。
山から運んできた
りっぱな木
「息をあわせて、ひっぱるぞー。そーれっ!」


堤づくりはあと半分
重い土のうを、かつぐんだ。
「うんとこしょ、どこいっしょ。
さあ、高く積み上げよう。」


夏が過ぎ、冬がきても
池づくりは続いた。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

昨日から
「大和郡山の語り伝えたい ふるさと民話 稗田の村と広大寺池」のお話の紹介です。


聖徳太子さまは
あちこちの村を回っておられた。
「今日は、稗田の村に行こう。」
村人はため息をついた。
「どうしよう。お米がない。」
出されたのは
ヒエのご飯。
驚いた聖徳太子さま。
「どうしてこのような物を食べているのだ?」
「はい。ここは水が手に入らず
水が手に入らず、うまくイネが育ちません。
それでヒエを食べているのでございます。」
村人は申し訳なさそうに応えた。
「それは気の毒に。」

ヒエ、ってどんなものかな?
あら、あそこで、いのししさんが、
お話をしているよ。
ちょっと聞いてみよう。


「これがヒエだよ。
こめっちーがくるまえから、
人間は食べていたんだ。
さむくても、雨が少しでも、
よく育つ。」


お米っておいしいよなあ。
ぼく、お米だ~いすき。
もっと雨が降らないと
イネが枯れちゃうよ。」


村人は更に話し続けた。
「しばらく雨の降らないときは田んぼが枯れ、
水をめぐって、おおげんかでございます。」


「こらー。おれの水をぬすむな~~」
あわれに思われた聖徳太子さま
しばらく考えておられる。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

昨日まで「吉野の民話」のお話を紹介していました。
今日からは 当店で所蔵している書物の中から
「大和郡山の語り伝えたい ふるさと民話  稗田の村と広大寺池」
の紹介です。
専門家の方々にご満足頂けるモノが殆どですが、
大和の歴史 文化に触れる機会になることを 願いながら、 
ここで、紹介いたしますモノは、お子様に 読み聞かせ出来るようなものをえらんでいます。
この本は 「こおりやま民話絵本の会」発行のものです。


みんなの生まれる、ずっとずっと前、とんとむかしのこと。
みんな大好き、あったかご飯。
そのご飯の種が隣の国からやってきた。
どれどれ、あの船をのぞいてみよう。


「あ、こめっちーだ。」


日本にやってきたこめっちー。」
あちこちでひっぱりだこ。」
おかげでだんだん
ご飯を食べられるようになったんだね。



そして今から1400年前
飛鳥時代のこと。聖徳太子さまという
偉い方が、
天皇を助け国を
治めておられた。


隣の国々に使いを出し、
外国からもたくさんの人がきて
国づくりを手伝ったんだ。
一度に十人のことばを、聞き分けていらしゃったそうだよ。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

今朝NHKで吉野のこの季節ならではの雲海と桜の幻想的な風景写真の紹介がりました。
今年は 写真でがまんです
その桜を見に行ったら必ずお参りする神社
金峯神社です。
「吉野の民話」から
金峯神社

外部資料

外部資料

金峯神社は、奥千本と呼ばれるあたりにあります。古くから金峯山をお守りする神社として多くの人々がおまいりをしてきました。中でも宇多天皇、白河天皇、藤原道長などが信仰を寄せたことは古くからの書物、宝物によって明らかになっています。また、金峯神社から少し下がった所に、「義経の隠れ塔」があります。


吉野にはお寺、神社を中心に名所、旧跡が多くあります。春になると、下千本、中千本、奥千本と次々に桜の花が咲き、多くの人々が訪れます。また桜の季節だけでなく、初夏の新緑も爽やかで、夏には林間学校、大峰山修行などでにぎわい、秋の紅葉、冬の雪景色など一年を通して、吉野を訪れる人々を温かく迎えてくれます。
また、平成14年(2001年)に役行者霊蹟礼所巡礼」が開創されました。そのうち、九ヶ所が吉野山にあります。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「吉野の民話」から
「吉野の名所・旧跡」
「吉水神社」

外部資料


吉水神社は、かつては吉水院と呼ばれていました。役行者が建てたのが始まりとも言われ、兄源頼朝との争いに敗れた義経が隠れ、後醍醐天皇もここに住み、豊臣秀吉が吉野の花見に訪れた時、ここに泊まるなど、歴史上の人物が多く訪れた「ことでも有名です。また多くの宝物があり、庭には「義経乗馬の爪痕」「弁慶の力釘」も残っています。


吉野水分神社

外部資料


吉野水分神社のあるあたりは、上千本と呼ばれる桜の名所です。神社は子守神社とも呼ばれています。ここの神は人々の命を養う水を司り、古くから人々はこの神社に降雨を祈りました。やがて、農業を司る神として、人々の信仰を集めました。4月3日には御田植神事も行なわれます。